週3回、1回4~5時間の人工透析
「たけし軍団」のメンバーとして『オレたちひょうきん族』などで活躍したタレントのグレート義太夫さんが9月7日、亡くなった。67歳だった。所属事務所が8日に発表した。
テレビのバラエティーが熱狂的な人気を集めた時代を駆け抜け、その後も音楽、芝居、寄席と活動の場を広げた義太夫さん。一方で、長年にわたって人工透析を続け、病とともに生きる日常を隠すことなく発信してきた人でもあった。
1958年12月26日、東京都生まれ。本名は鈴木正之さん。音楽を得意とし、ドラム、ギター、キーボードを演奏した。ビートたけしさんのもとに入り、「たけし軍団」の一員として芸能界へ。1980年代には『オレたちひょうきん族』をはじめ、たけしさんが出演する人気番組などで存在感を示した。
しかし、義太夫さんを「体を張る軍団芸人」という一言だけで振り返るのは、あまりにも惜しい。
もともと音楽への造詣は深く、たけしさんの楽曲「浅草キッド」が生まれた際には、鼻歌で歌われたメロディーを譜面に起こしてコードを付けるなど制作を支えた。ほかにも、細川ふみえさんらへの楽曲提供やCMソングの作曲を手がけた。
ギターを抱えて高座に上がる「ギター漫談」も続け、晩年まで浅草の舞台に立った。映画では北野武監督の『菊次郎の夏』に出演し、蜷川幸雄演出の舞台にも参加。芸人、ミュージシャン、俳優――その活動は思いのほか多彩だった。
そんな義太夫さんの人生を大きく変えたのが病だった。
生前のインタビューで本人が語ったところによれば、1995年、突然映画の字幕が読めなくなり、立ち上がったところで倒れた。検査で判明した血糖値は630mg/dL。糖尿病と診断された。
ところが痛みがなかったこともあり、やがて自己判断で通院もインスリン治療もやめてしまったという。病状は糖尿病性腎症へと進み、仕事中に倒れて病院へ運ばれ、その日のうちに「今日から透析です」と告げられた。
そこから長い透析生活が始まった。
週3回、1回4~5時間。地方での長期の仕事を諦めたこともあった。透析後に誤ってナレーションの仕事を入れ、「笛みたいな声しか出ない」状態になってしまったことも、義太夫さんは笑いを交えて語っていた。
だが、仕事を手放したわけではなかった。













