過去のテレビ番組を批判するときに考えたいこと

2013年にはBPOで審議され、フジテレビ側も作り手の意図と視聴者の受け止め方に「乖離が生じてしまったことは事実」と認めた。そして加藤自身も、後年この企画について振り返っている。

問題となった瞬間だけを現在に取り出し、その後どう受け止められてきたのかを省いたまま、まるで出演者が当時から何も省みることなく、現在まで活動を続けてきたかのように断罪する。それもまた、別の意味で“切り抜き”になりかねない。

また、『めちゃイケ』について飲用氏は、「バラエティー番組にドキュメンタリーの見せ方を持ち込み武器にした番組」だったと話す。

「長期密着のドッキリなど、笑いが出演者の人生と結びつけられていました。視聴者が出演者同士の強い関係性や信頼を感じていたとしたら、それは『めちゃイケ』がメンバーの人生を交錯させる演出を長年繰り返してきたからでしょう。過激なシーンも、こうした信頼関係の中での笑いとして受け止められていた面があるように思います」

一方で、出演者が追い込まれ、傷つき、ときに人生そのものまで笑いの対象にする。そうした刺激もまた、『めちゃイケ』という番組の一面であり、飲用氏はそこに「残酷ショー」としての側面もあったのではないかと問いかける。

そして現在、皮肉にもその構図は反転している。

「過去の切り抜き映像をもとに出演者が批判され『二度と表舞台に出るな』とまで言われる流れは、かつて『めちゃイケ』が発信してきた残酷ショー的なまなざしが、今度は『めちゃイケ』自体に反転して向けられているようにも感じます」

2013年の秋葉原の風景(画像/Shutterstock)
2013年の秋葉原の風景(画像/Shutterstock)
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過去のテレビを見直し、当時の笑いについて語ることまで否定する必要はない。

ただ、いまは少し調べれば、その映像がいつ放送され、当時どんな批判があり、その後、番組や出演者がどう向き合ってきたのかまで知ることができる。そうした少しの手間すらかけず、十数秒の映像だけを見て、現在を生きる出演者にまで石を投げる。

それは果たして、過去のテレビをきちんと批判することと同じなのだろうか。

取材・文/集英社オンライン編集部