この時代を生きていた人間の目から
ヒトラーを捉え直す
──第二部は、国会議事堂放火事件によって独裁を強めていくところから第二次世界大戦へ向かっていくまでを、第三部は、ポーランド侵攻からヒトラーの死までが描かれています。全体を通してヒトラーの視点以外にも、ゲッベルスやヒムラーなど側近たちの視点が織り込まれていますが、第二部の途中からヒトラーユーゲント(エン・エスの下部組織で、党員になる年齢に達しない十歳から十八歳までの少年の組織)から後に親衛隊に入隊するハンス・ノルトバウアーという青年が登場し、彼の視点が最後まで重要な役割を果たしていきます。
第一部は、ヒトラーを等身大の人間として描いていくことでスタートするのですが、公人あるいは政治家としてのヒトラーは、やはり別の人の目を通したほうが書きやすいと思って、ゲッベルスやヒムラーといった、後にヒトラー政権を支えていく側近たちの視点を織り込んでいきました。第二部以降は、ハンスという無名の若者を出すことによって、この時代を生きていた市井の人間の目からヒトラーを捉え直せるのではないかと考え、その視点を入れました。
──アウシュヴィッツなどの強制収容所におけるユダヤ人の問題が、ハンスの目を通して語られています。
いわゆるホロコーストに対して、ヒトラー自身がどこまで自覚的だったかという問題もあるのですが、現実にはあれほどの惨事が起こっていた。そのギャップを埋めるためにも、ハンスという一般の若者の目が必要でした。
──ハンスのモデルになるような人がいたのですか。
特定の人物ではありません。戦後、かつての親衛隊員たちの回想録のようなものがいくつか出ていますし、当時の親衛隊の若者たちが写っている写真もたくさん残っている。ヒトラーの時代というと暗い時代だと一面的に捉えがちですが、それらの写真を見ると、みんな潑剌として明るく、希望に満ちた顔をしている。まるで悪の権化みたいな書かれ方をされてきた親衛隊員がこれだけ明るい顔をしていたというのは、結構衝撃でした。それを踏まえてキャラクターを作っていきました。
ハンスが生まれたザールブリュッケンは、フランスやルクセンブルクと国境を接するザールラント地方の都市です。ザールラントは本来ドイツに属していたのですが、第一次大戦の敗戦によって、国際連盟の管理下に置かれた。さらに歴史を遡れば、ナポレオン戦争のときにフランス領に編入された。そういう土地に生まれたということが、ハンスに大きな影響を与えているわけですね。
ある意味では、ナポレオンもヒトラーも最終的には国を負け戦に引きずり込んだということでは同じなのですが、片や英雄と讃えられ、片や史上最大級の悪党と非難される。何が評価を分かつのかといえば、やはりホロコーストですね。ハンスも、最後にホロコーストに関わったということで裁かれる。ヒトラーもその点においては決して許されることはない。それだけホロコーストの持つ歴史的な意味は大きいわけですね。
ただ、現代でも国民の中のあるグループをあえて槍玉に上げることで政権を維持する、あるいは批判することで人気を取ろうという政治家がいないわけではない。ヒトラーがもっとも批判された要因さえ、もしかしたらまた繰り返してしまうかもしれない、そういう怖さもあると思いました。
現に、ヒトラーに関する本は、いまでも毎年出ています。日本だけじゃなくて、もちろんドイツ語でも出ているし、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語でも出続けている。今度の本を書くに当たって、かなりの資料を読みましたが、とても全部は追い切れませんでした。これだけ世界中でコンスタントにヒトラー関係の新刊が出続けていることの意味はどういうことだろうというのは、書きながら思っていました。
ぼくは、いま五十八歳で、もうすぐ五十九歳になりますが、会社勤めの同級生たちはそろそろ退職という雰囲気になっています。自分は作家だから関係ないと思っていたのですが、「ああ、そうか。俺もこの先もう何十年もないな」ということで、書くべきものは書いておかなければいけないという意識があります。その一冊がヒトラーで、最後まで書き切れたのでホッとしています。












