ロヒンギャ難民はどの現場よりも規模が大きかった

『アラブの春』は、2011年から2012年にかけてアラブ世界で巻き起こった民主化運動である。報道規制が厳しい中東の国々において、市民層による情報の共有や抗議行動への呼びかけなど、ソーシャルメディアが民主化に向けて果たした役割は大きかったが、世界中で権力側者がSNSを利用し出すのに時間はかからなかった。

ミャンマーでは、2012 年 にラカイン州でコミュナル(共同体間の)暴動が起きた。仏教徒のラカイン人とイスラム教徒のロヒンギャの衝突が始まり、ロヒンギャの住んでいた家屋が大量に破壊された。

ミャンマー政府はロヒンギャを「保護」するということを名目にアパルトヘイト政策のように隔離した空間にロヒンギャを閉じ込めた。不衛生な環境の中で、移動も禁じられ、子どもたちも公教育から遠ざけられた。

このとき、アムネスティ・インターナショナルはミャンマー政府に対して、ロヒンギャへの差別を止めるように申し入れているが、逆に政府はロヒンギャを貶めるフェイクニュースを大量に生産して差別が扇動された。

デマは政府要人や公的な立場にある者によっても発信されており、ミャンマー国軍最高司令官のミン・アウン・フライン司令官のSNSに至っては、そのデマとあまりの醜悪さにFacebook社が「憎悪と誤った情報の拡散を防ぐため」にアカウントを削除している。

今、赤根智子所長がトランプ政権から制裁をかけられたことで世界中から注目を集めているICC(国際刑事裁判所)検察局もロヒンギャ迫害の罪を確認し、後にこのミン・アウン・フラインの逮捕状を請求している。

今泉はたった一度でもロヒンギャヘイトのデマ拡散に加担してしまったことに学究として深い責任と忸怩を抱えていた。そして8月25日を迎える。

「この2017年8月25日のロヒンギャ危機を知って、現場を取材したいと強く思いました」

決意は身体を動かした。同年秋から日本最大のロヒンギャコミュニティである群馬県の舘林に通い、在日ビルマロヒンギャ協会のアウンティンたちから現地の状況について話を聞いた。そしてジェノサイドが始まってから4か月余りが経過した2018 年 1 月にバングラデシュに向かいロヒンギャ難民キャンプを訪問する。

「私はそれまでにパレスチナ難民キャンプや、シリア難民が暮らすヨルダンのザータリキャンプ、イスラム国に傷つけられたイラクのヤジディ教徒のキャンプなどを訪問していましたが、それらのどの現場よりも規模が大きかった。

焼き討ちや組織的な性被害に遭ったロヒンギャが次々に入って来て、生々しい傷跡を持った人々がキャンプ内にもいました。収容する小屋やテントを建てても建てても追いつかない。物凄い密集感がありました」