「税収は過去最高」は見かけの繁栄でしかない

さらに私が違和感を覚えるのは、「税収は過去最高」という政府の説明である。

確かに税収は増えている。しかし、それは国民が豊かになった結果ではない。物価が上がれば消費税収は自然に増える。円安によって企業の売上が名目上膨らめば法人税も増える。賃金が上昇すれば所得税も増える。

しかし、その一方で実質賃金は伸び悩み、多くの家庭は以前よりも生活の苦しさを感じている。政府は過去最高の税収を成果として語るが、その裏側では国民の実質的な購買力は低下し続けているのである。

税収過去最高とは、日本経済が強くなった証ではない。円安と物価高によって名目の数字が膨らんだ結果に過ぎない。株価だけではない。税収まで「見かけの繁栄」で語られるようになったとすれば、それは極めて危うい発想と言わざるを得ない。

トランプ政権との間で約束した莫大な防衛装備品の購入も、その多くはドル建て決済である。円安になればなるほど、その負担は最終的に国民へ跳ね返る。台湾有事への備えも、中国との経済関係の見直しも、それ自体を否定するものではない。

しかし、その政策が生み出すコストまで国民に説明して初めて、「責任ある政治」と呼べるのである。

覚悟なくして「責任ある」という言葉だけが一人歩き

「責任ある積極財政」と言うのであれば、その責任は辞任では済まない。本当の責任とは、日本円の価値を守り、日本という国家の信用を守り、その財産を次の世代へ引き継ぐことである。

その覚悟なくして「責任ある」という言葉だけが一人歩きするのであれば、それは責任ではなく、単なる政治的キャッチコピーに過ぎない。

政策には必ず恩恵とコストがある。そのコストまで含めて国民に説明し、結果を検証し、失敗まで含めて責任を負うことこそ、本来の政治である。

今、日本に必要なのは株価を上げることではない。円の国際的価値を取り戻すことである。国民は株価で生活しているのではない。円で生活しているのである。

いまや外国人には"5割引きの国"に…「日本は巨大なドン・キホーテになった」円安ニッポンへの警鐘、「責任ある積極財政」の責任は誰が取るのか_5
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株価は円建てで上がる。しかし、世界は通貨の価値を通じて、その国の力や購買力を評価する。株価が史上最高値を更新し、税収が過去最高を記録したとしても、円の価値が下がり続け、国民の暮らしが豊かにならないのであれば、それは繁栄ではない。ただ数字だけが踊っている「見かけの繁栄」である。

日本の政治に最も欠けている「責任を負う」文化

だから私は、株価だけを見て日本の未来を語るつもりはない。税収の数字にも惑わされない。円を見る。国力を見る。そして、その先にある日本の未来を見続けたい。政策は発表した瞬間に終わるものではない。結果を検証し、その責任を負うところまでが政治である。

日本の政治に最も欠けているのは、政策をつくる能力ではない。政策を最後までやり切り、その結果に責任を負う文化である。そして、その責任とは辞任ではない。円の価値を守り、国民の財産を守り、日本という国家の信用を守ることである。それこそが「責任ある積極財政」の本当の意味ではないだろうか。

「責任ある積極財政」とは、未来へ借金を残すことではない。未来へ信用を残すことである。

取材・文/木戸次郎