「蔦が講演会で金儲けに走るようなことがあると思うか」

「水飲み厳禁の70年代にゲータレードを…」“高校野球の神様”蔦文也とは何者だったのか? 教え子が池田高校グラウンドで目撃した「猛烈な献身」_2
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選手に水抜きを指示するときも、蔦は投手にはやらせなかった。指の皮を守るためだ。控えのバッティング投手にさえ、水抜きをやらせることはなかった。

スポンジを手に、グラウンドで黙々と水を抜く蔦の丸い背中が、わたしの脳裏にも浮かぶようになっていた。真実味があった。

だが同時に、蔦がますますわからなくなっていくようにも思えた。それほどまでに野球に献身していた人が監督晩年になぜ、と。

〈中略〉

「ほかに何か蔦さんとの会話で覚えているものはありますか」とわたしは訊いた。

橋川は三秒ほど沈黙し、「今の時代だと問題になりそうな話なんですけど」と前置きして、一つのエピソードを教えてくれた。ある放課後の練習前、体調が悪かった橋川は、熱があるので休ませてほしいと蔦に相談した。

すると蔦は「ユニフォームを着たら治る」と言い、休むことを認めなかった。そのまま練習に参加したが、明らかに橋川の顔色が悪かったのだろう。蔦はもう帰れと言った。

橋川が笑みを浮かべる。

「寮で横になっていたら、階段を上る足音が聞こえてきた。それが蔦先生やったんですよ。布団に薬が入ったビンを投げて『これ飲んどけ』って。それだけ言って、またグラウンドに戻っていきました」

高校卒業後、橋川は蔦と同じ同志社大学へ野球推薦で進学した。四国銀行への就職も蔦
が知人を頼って実現したものだった。

高校一年の冬、橋川は父を交通事故で亡くしている。一週間、学校を休んだ。池田町に戻った橋川に、蔦は精一杯の労りを見せたのだろう。「わしを親父と思え」と言った。

橋川は、蔦から直接的な温情を受けることができた数少ない生徒だった。進学や就職の
あっせん、熱で寝込んだ橋川への不器用な気遣い。これが、蔦が持っていた〝父親像〞だったのかもしれない。

夏の記事の内容に触れるのは憚られたが、最後に橋川の見解を訊きたかった。橋川から見て、蔦が講演会で金儲けに走るようなことがあると思うか、と。橋川がかすかに苛立たしげな表情を浮かべた。

わたしは、橋川の言葉を待つ。

「僕の印象ですよ。蔦先生はお金に執着があるタイプやないです。どちらかといえばボンボンというか、もともと資産家で家も立派じゃないですか。お金に苦労しなかった人だし、ええもん食うたりするような人でもないですよ」

それに仮にね、と橋川は続けた。

文/田中仰 写真/shutterstock

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田中 仰
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「カネはやめられん」
《昭和の甲子園を支配した“高校野球の神様”は、聖人か、守銭奴か?》
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甲子園優勝3回、準優勝2回。
「さわやかイレブン」「やまびこ打線」で知られる徳島県立池田高校を率いた蔦文也監督は、日本で最も愛された高校野球監督だった。
しかし池田はその後甲子園から姿を消し、蔦が人前に現れることもなくなっていく。
◎池田高校はなぜ甲子園から消えたのか?
◎蔦文也は本当に英雄だったのか?
蔦の死から25年が経った今、現地を取材すると「酒好きの豪傑監督」「金好きな欲望ジジイ」など証言者によって人物像は二転三転していく――。
親族、袂を分かった元コーチ、拝金主義を批判する告発文を書いた元球児などへの取材から、池田の真実、そして“神様になった監督”の正体に迫るミステリーノンフィクション。
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