「蔦が講演会で金儲けに走るようなことがあると思うか」
選手に水抜きを指示するときも、蔦は投手にはやらせなかった。指の皮を守るためだ。控えのバッティング投手にさえ、水抜きをやらせることはなかった。
スポンジを手に、グラウンドで黙々と水を抜く蔦の丸い背中が、わたしの脳裏にも浮かぶようになっていた。真実味があった。
だが同時に、蔦がますますわからなくなっていくようにも思えた。それほどまでに野球に献身していた人が監督晩年になぜ、と。
〈中略〉
「ほかに何か蔦さんとの会話で覚えているものはありますか」とわたしは訊いた。
橋川は三秒ほど沈黙し、「今の時代だと問題になりそうな話なんですけど」と前置きして、一つのエピソードを教えてくれた。ある放課後の練習前、体調が悪かった橋川は、熱があるので休ませてほしいと蔦に相談した。
すると蔦は「ユニフォームを着たら治る」と言い、休むことを認めなかった。そのまま練習に参加したが、明らかに橋川の顔色が悪かったのだろう。蔦はもう帰れと言った。
橋川が笑みを浮かべる。
「寮で横になっていたら、階段を上る足音が聞こえてきた。それが蔦先生やったんですよ。布団に薬が入ったビンを投げて『これ飲んどけ』って。それだけ言って、またグラウンドに戻っていきました」
高校卒業後、橋川は蔦と同じ同志社大学へ野球推薦で進学した。四国銀行への就職も蔦
が知人を頼って実現したものだった。
高校一年の冬、橋川は父を交通事故で亡くしている。一週間、学校を休んだ。池田町に戻った橋川に、蔦は精一杯の労りを見せたのだろう。「わしを親父と思え」と言った。
橋川は、蔦から直接的な温情を受けることができた数少ない生徒だった。進学や就職の
あっせん、熱で寝込んだ橋川への不器用な気遣い。これが、蔦が持っていた〝父親像〞だったのかもしれない。
夏の記事の内容に触れるのは憚られたが、最後に橋川の見解を訊きたかった。橋川から見て、蔦が講演会で金儲けに走るようなことがあると思うか、と。橋川がかすかに苛立たしげな表情を浮かべた。
わたしは、橋川の言葉を待つ。
「僕の印象ですよ。蔦先生はお金に執着があるタイプやないです。どちらかといえばボンボンというか、もともと資産家で家も立派じゃないですか。お金に苦労しなかった人だし、ええもん食うたりするような人でもないですよ」
それに仮にね、と橋川は続けた。
文/田中仰 写真/shutterstock













