「緑の戦時経済」とエコロジー独裁の必然性
──『人新世の「黙示録」』のキーワードの一つに「緑の戦時経済」というものがあります。アメリカとイスラエルによるイランへの軍事攻撃への報復措置として、今ホルムズ海峡は事実上の封鎖状態にあり、深刻なエネルギー・物流危機に直面することが懸念されています。まさに現実の「戦時経済」がひたひたと忍び寄っている感じがします。
もともと「緑の戦時経済」という言葉は、ドイツの経済ジャーナリストであるウルリケ・ヘルマンが『The End of Capitalism(資本主義の終焉)』というベストセラーで提唱したものです。
彼女は、気候崩壊という非常事態を生き延びるために、経済成長を諦め、国家主導の計画経済によって意図的かつ急速に経済規模をダウンサイズさせることが必要だと説いています。そこで参照するのが、イギリスの戦時経済なんです。これまでの市場の自由に任せたやり方や、グリーン・ニューディールのような、経済成長を前提とした楽観的な環境政策では、もはや破局に間に合わないという危機感は、私も共有しています。
ただ、彼女の場合、「戦時経済の下でも私企業が競争し貨幣が存在する、資本主義は延命する」と、社会主義への転換を拒んでいます。
それに対して私は、資本主義のまま戦時経済に突入すれば、ますます格差が拡大し強者が総取りする環境破壊が進むと考えています。だからこそ、この危機をきっかけとして、資本主義的な利潤追求や搾取をなくしていく「社会主義版の緑の戦時経済」へ転換しなければなりません。
ホルムズ海峡が封鎖されて原油が枯渇するような瞬間がいつ来てもおかしくない中、どこを優先して配給していくのか、危機が来てからではなく今からしっかり議論しておくべきです。
──その社会主義版の戦時経済の構想として、上からの「エコロジー独裁」を提唱しています。「独裁」という強い言葉をどのように捉えればいいでしょうか。
エコロジー独裁は、スターリンや毛沢東のような一部の権力者が国民を支配する「暴政」や「専制」のことではありません。マルクスが「プロレタリアート独裁」という言葉を使ったのも、一部の人間の利潤が世界を覆う「資本の専制」を打ち破り、大衆が社会をつくり変えるための、より民主的な社会を考えるためのものでした。
戦時経済がそうであるように、危機が深まれば、「上からの介入」は自動的に要請され、不可避になります。これはコロナ禍やリーマン・ショックの時もそうでした。とすれば、私たちが考えるべきは「その上からの介入の仕方をどうするか」ということです。左派はフーコーや(ジョルジョ・)アガンベンのように、「生政治」や国家の介入をネガティブなものとして嫌がる傾向にあります。しかし、その結果として右派の陰謀論と呼応してしまうことも起きています。
私は、危機対応としてお年寄りや貧しい人を守るポジティブな生政治を考えるべきだと思っています。国家の介入をより平等主義的で、意思決定を参加型の民主的なものへとコントロールする準備をしておけば、ファシズムを防ぐ最終的な歯止めになりますから。
──レベッカ・ソルニットが描いた『災害ユートピア』(亜紀書房)のような自発的な相互扶助には期待できないでしょうか。
災害ユートピアは短期間、あるいは小規模だから起きるのであって、恒久的な欠乏経済では、万人の万人に対する闘争のような自然状態が戻ってきてしまいます。そうなれば、自発的な助け合いや思いやりの精神は機能しなくなり、弱肉強食の資源の奪い合いに発展してしまうリスクが高い。それを防ぐためにこそ、緊急措置的なエコロジー独裁について議論しておかなければなりません。
──本の中では、2050年までにエコロジー独裁を打ち立て、2080年頃に暗黒社会主義が完成するというビジョンが描かれています。戦時経済が終わったあとも、前著で語られた「ラディカルな潤沢さ」は維持できるのでしょうか。
1920年代の「赤いウィーン」がやったことはまさにそれです。第一次世界大戦後に困窮していたオーストリアの欠乏経済の中で、ウィーンは「ラディカルな潤沢さ」を目指しました。物質的な制限があるからこそ、コモン(共有財産)や相互扶助、ケアの場所を作り出すことで、不安に駆り立てられてファシズムや命の選別に向かうのを防ぎ、社会全体を維持していきました。
誤解しないでほしいのですが、この本は前著で主張した「脱成長コミュニズム」の否定ではありません。下からのコミュニズムが不要だと言っているわけではなく、ラディカルな潤沢さや脱成長はますます重要性を増していきます。ただ、危機が不可逆的な形で進んでしまった現状をはっきりと認め、私自身もとらわれていた、ハイエクの「自生的秩序の呪い」を意識的に乗り越えようというのが本書の提案です。
思想書として、あえて「独裁」や「黙示録」といった過激な語彙を使うことで、実際の政策議論ではできないような限界までの思考実験を行い、社会を違う視点で見られるようにしています。
私は危機を待望しているわけではありません。しかし、破局はすでに起きてしまった。その不可逆的な変化が恒久的に起きる世界において、私たちがいかにファシズムを避け、ともに生き延びていくか。ポジティブな変化はこうした状況においても多様にありうるということを、この本を通じて強く伝えていきたいと思っています。
インタビュー・構成/斎藤哲也 撮影/樋口 涼
※「kotoba」2026年夏号に掲載













