日韓W杯から20年。森岡隆三、宮本恒靖、中田浩二が今明かす熱狂の裏側_a
オンライン公開のトークショーに出演した3人。左から森岡隆三、宮本恒靖、中田浩二

2002年W杯で、サッカー日本代表が初めてベスト16に入りし、スタジアムが青色に染まった。当時、サムライブルーを率いたのはフランス人指揮官のフィリップ・トルシエ。その代名詞とも言えるのが、DF3枚がラインで守る稀有な戦術「フラット3」で、同大会では強烈なインパクトを残した。

2022年6月9日。20年前のロシア戦の日付に合わせ、元日本代表選手たちが当時を振り返るオンライントークショー「甦るフラット3の伝説」(朝日新聞社主催)が開かれた。イベントには、フラット3成功の立役者であるキャプテン森岡隆三、宮本恒靖、中田浩二が出演。3人の証言に加え、この戦術を強く支えた「もう1人」の軌跡からも、20年前の真実に追っていきたい。

元日本代表が明かす熱狂の裏側とは?

2002年日韓W杯で取材に関わった朝日新聞東京スポーツ部・潮智史記者、フリーアナウンサー・日々野真理さんの両司会に呼ばれて入場した元日本代表の森岡、宮本、中田の3氏。20年前のサムライブルーユニフォームからカジュアルな私服に服装は変わったものの、顔ぶれを見るとあの濃密な4試合がすぐに脳内に甦ってくる。

3人の後ろにはもう1人、ユニフォームに身を包む男が“いた”。チームメイトから「マツ」の愛称で親しまれた松田直樹だ。2002年W杯ではフラット3の右CBとして全試合フル出場。その後も日本を代表するDFとしてプレーした。2011年8月、急性心筋梗塞で突然この世を去った彼も今回、遺族の許可を得て写真でのイベント参加を果たした。

かくして時計の針は20年前へと急速に巻き戻されていく。最初の話題は、2002年6月4日に埼玉スタジアム2002で行われたグループステージ初戦のベルギー戦。選手たちが自国開催の熱気を肌で感じたのは、さいたま市内の宿泊先での出来事だったという。

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2002年6月4日、初戦のベルギー戦に挑む日本代表イレブン 画像/Kyodo News

宮本 試合当日、昼寝をしようとしても僕らが泊まっている15階の部屋の下からスタジアムに行くサポーターの声が聞こえてくるんです。

その熱気は18時前、選手入場時に頂点へと達する。

森岡 ピッチに階段で上がったときに真っ青に(サポーターが)埋まった光景は忘れることができないですね。

ただ、実際に試合になると……。フラット3中央のコントロールタワー役を務めていた森岡は相手との接触プレーが原因で、左脚に異変が生じる。「何とかしようとしてもどうにもならなかった」と森岡は振り返る。

71分、森岡からキャプテンマークを託された宮本がピッチへ。直前の鼻骨骨折によりフェイスガードを着用したことにより「バットマン」と言われ、大会後は「ツネ様」として国民的な人気を博すことになる宮本のW杯デビュー戦となった。

中田 ツネさんとは、2000年シドニー五輪でもコンビを組んでいたので不安はなかったです。

中田がそう話すように、ピッチ上での違和感はなかったものの、結果は75分にフラット3のギャップを突かれて失点し、2対2の引き分け。しかしこの失点はフラット3にとっては、その後の堅守への大きなケーススタディとなった。