「福寿」のない笹塚は自分が知ってる笹塚とはもう違う街

――閉店にあたって「福寿」ロスみたいなものはありますか?

うーん。これから出てくるんだと思うんですけど、自分が上京してきて最初に住んだのが笹塚で、笹塚を離れてずいぶん経つんですけど、たまに笹塚に行くと最近発展してて、自分が知ってた笹塚っていうのはどんどんなくなってて、でも唯一福寿だけが変わらなかった。俺が静岡から上京してきた時と寸分変わらない風景がなくなるっていうのは、なんだろうな、自分の青春時代の景色が確実に一個なくなったっていう感じ。

これからたぶん笹塚にぶらっと行くことがあったとしても、「福寿」がない笹塚っていうのは自分が知ってた笹塚とはもう違っちゃうんだろうなっていう感じはしますね。でも、しょうがないですけどね。もう小林さん大変そうだったし。

ラーメンより失ったもの…電気グルーヴ・石野卓球が語る「福寿」_d
「自分の青春時代の景色が確実に一個なくなったって感じ」

――年齢について小林さんはいつも『28歳だ』と言い張っていましたが、やはり高齢ですものね。小林さんに改めてお伝えしたいことはありますか?

もう「お疲れ様でした」ですよね。俺も長く通った方だと思うんですけど、それ以上にお店の歴史ってあるじゃないですか。それを考えたら、とてつもない数のラーメンを作ってきたわけでしょう。「もういいでしょ」っていうさ(笑)。

「お疲れ様でした!」っていうか、逆に「よくこんなに続けましたよね」って感じですよね。

――強いていうなら卓球さんは「福寿」のラーメンのどこが好きだったでしょうか。

俺にとってラーメンの基準になってるんで、ロックでいうチャック・ベリーっていうか(笑)。その後に色々ビートルズとか、ローリング・ストーンズとか出てきたけども、やっぱり俺のルーツはここだなっていう。チャック・ベリーのダックウォークはもう生では見れない、それはそれで寂しいけどしょうがないかなっていうね。

でもチャック・ベリーの穴は埋められないし、生涯で間違いなく一番食べたラーメンだから。これから新しくどこかのラーメン屋さんにハマっても、「福寿」で食べたラーメンの数を超えることはないと思うんですよ。超えたとしたら成人病で死んでると思うんで(笑)。俺にとって、あのどんぶりの「日本一」っていう言葉はあながち嘘でもないんですよ。

あの「日本一」のどんぶりとか欲しかったんですけどね。あとレンゲとか。レンゲなんか最初なかったくせに、きゃりーちゃん(きゃりーぱみゅぱみゅ)が取材かなんかで来た時に「レンゲないんですか?」って言って、それで作ったっていう(笑)。