「港区女子はなぜ、こんなにも嫌われるのか」
これが、この記事で解決する疑問である。
「港区女子」という言葉が再び話題を集めている。南麻布の高級すし店と港区女子の間で起こったトラブルがXに投稿され、結果的に港区女子が炎上した。この件であらためて思ったことがある。
「港区女子、嫌われすぎじゃない?」
もちろん、港区女子がインスタの投稿のために食べ物を丁寧に扱っていないとか、いわゆる「パパ活女子」「ギャラ飲み女子」などとの境目がわからなくなってきている、などの事情はある。今回の件でも、批判される根拠は確かにある。
しかし、それにしてもこの叩き方は過剰な気がする。最近「港区女子」という言葉は、ほとんどが否定的な文脈で使われている。例えば、「マイナビニュース」が出している記事のタイトルは『港区女子とは? 服装や性格の特徴、職業、恋愛観に末路、あるあるなどを紹介』である。ここに“末路”が入っている段階で、その使われ方がわかる。
あまりにもみんな「港区女子」という存在を嫌っている。いったい、これはなぜなのか?
ヒントは「港区」という言葉にあるのではないか。
港区女子の「いけすかなさ」
そもそも、「港区女子」という語は、シティ・マガジン「東京カレンダー」での連載『港区女子の原点』が始まったことに由来する。現在の定義では、「港区界隈(六本木、麻布など)をオフタイムの活動拠点とし、ハイスペック男性たちを結婚相手として狙う20代の女性たちのこと」らしい。
ここまで彼女たちが嫌われるようになった背景には、2020年ごろに港区女子のイメージが「婚活女子」的なものから「フリーランス水商売」へと変わってきたことがあるという(『「港区女子」小史』)。こうした意味での「港区女子」への批判的な目線は、雑誌でいえば2019年ごろから起こっている。「週刊大衆」や「SPA!」などの雑誌で、港区女子の生態が赤裸々に書き始められているのだ(大宅壮一文庫のデータベースによる)。
こうした文脈を支えるのは、若さや体だけで金銭を稼ぐことに対するやっかみだ。ある特定の層の人々が持つミソジニー(女性嫌い)的な感情との親和性も高かった。いずれにしても一般の人々が彼女たちに抱く「いけすかなさ」がそこにはある。