渋谷狂乱の発祥は日韓W杯

そもそも東京・渋谷での“バカ騒ぎ”の歴史のはじまりは2002年までさかのぼる。同年の5月31日から6月30日にかけて日韓共同開催で行われた「2002 FIFAワールドカップ」がそのきっかけだ。
渋谷で生まれ育った写真家の佐藤豊氏は当時を振り返る。

「日本代表が勝った日の夜、渋谷のスクランブル交差点で誰ともなく行き交う人々の間でハイタッチと『ニッポン』コールが起きた。それをニュースが一斉に取り上げたことも拍車をかけてどんどん盛り上がっていきました。今も名物となっている、歩行者を口頭で誘導する警視庁機動隊員の“DJポリス”も、このときに登場しました。

当時は新宿や池袋などでも若者が大騒ぎしていましたが、それ以降、渋谷がバカ騒ぎの聖地となったのは、スクランブル交差点がある種のシンボル的な役割を果たしたことが大きいと思います」(以下、同)

ふだんの渋谷スクランブル交差点
ふだんの渋谷スクランブル交差点
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その後、この交差点での“狂乱”はサッカー日本代表の勝利以外でも発動するようになる。

「まずは、年越しですね。機動隊が『本日、渋谷駅前ではカウントダウンはありません!』とアナウンスしてもどんどん人が集まってきて、ときには外国人の女の子が機動隊にも抱きついて『ハッピーニューイヤー!』なんて叫んでカオス化していきました」

次第に、イベントのある日は「渋谷に集合するとおもしろい」「ここに来れば誰かと過ごせる」という共通認識が若者の間で広がっていった。当時はSNSもほとんど発達していない時代にもかかわらず、だ。

「クリスマスの日にはサンタクロースの格好をして渋谷を練り歩く4、5人組の男性や女性のグループを見るようになりました。『恋人がいないボッチ同士、渋谷で楽しもうぜ』みたいな。すごく不思議な光景でしたね」