昭和キッズが夢中になったライバルたち

宿命のライバル“馬場と猪木”の直接対決。全16戦の対戦成績とは?_1
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ぼくたちは“宿命のライバル”というフレーズが大好きだ。ここでいうぼくたちとは、戦後から高度経済成長期育ちの昭和のキッズだった“ぼくたち世代”のことだ。

昭和育ちのキッズがスポーツの世界でとくに夢中になった“宿命のライバル”の物語は、プロ野球では長嶋茂雄と王貞治、江川卓と西本聖、大相撲では大鵬と柏戸、先代・貴ノ花と輪島、そして、プロレスではもちろんジャイアント馬場とアントニオ猪木だった。

昭和30年代から昭和40年代を代表するバッターの長嶋と王、昭和50年代を代表するピッチャーの江川と西本はいずれも読売ジャイアンツのスーパースターで、同じチームに所属していたためじっさいに対決することはなかったが、あるひとつの時代を象徴する野球選手としてのステータスそのものがライバル関係とカテゴライズされた。

昭和30年代から昭和40年代を代表する大横綱の大鵬と柏戸、昭和40年代から昭和50年代に活躍した大関・貴ノ花と横綱・輪島もまた同じ時代を生きたライバル同士で、大相撲では幕内三役以上の番付の力士は毎場所のように顔を合わせるため、そのつど勝ったり負けたりするから対戦成績はそれほど重要なファクターではなかった。

大鵬と柏戸、貴ノ花と輪島も、長嶋と王、江川と西本の関係と同じようにその人気と実力、時代性のなかで宿命のライバルと位置づけられていた。

馬場と猪木のライバル・ストーリーは、同日入門発表と同日デビューから、最強のタッグチーム“BI砲”として活動した昭和40年代の約5年間、全日本プロレスと新日本プロレスの設立から現役選手として円熟期を迎え“社長レスラー”“プロモーター”“プロデューサー”としておたがいのプロレス観をぶつけ合った昭和50年代、昭和60年代、平成まで続いた約40年間のロングランだった。