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いい写真とは

いい写真ってなんだろう?まずは写真を撮る前に考えてみてほしい。「いい写真ですねぇ」ってよく耳にはしますよね。写真学生やスタジオマンをしたり弟子をしたりしているときも、いい写真についてみんなよく考える。

主語をデカくするなって怒られそうだけど、マジでみんな若いうちは考える。いい写真について議論をしたりもする。ケンカになることもあれば説教をくらうときもある。たまに悟りを開いたかのような新しい答えを知るときもある。

写真学生ぐらいだと気づかないかもしれないけど、スタジオマン1年目の秋には「うまい写真がいい写真じゃない」ってことに気づく。スタジオにはタレントやフォトグラファーが撮影にやってくる。そこで手伝いをしていると「あれ、別にそんなにうまいってわけじゃないんだな」って感じる。

たくさんの人が誤解をしているんだけど、うまい写真はいい写真ではない。いい写真というのはもっと別次元の話になる。いい写真の答えは哲学のようにそれぞれが辿り着くものだけど、うまい写真がいい写真ってわけじゃないって答えはほとんどのフォトグラファーと写真家の共通認識だろう。うまいから……で?となる。

いい写真の答えは自分で出さないといけない。これまでぼくもいい写真についてたくさん考えてきたけど答えを押し付けるつもりはない。だけど答えを見つけるヒントになればいいなと思う。

いい写真はうまい写真とは限らない…「エモい」や「バズる」を超える「いい写真」の条件とは〈人気写真家が指南〉_1
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まず大事なことは写真の勉強は写真以外から学ぶことだ。いい写真の答えも写真以外から考えてみよう。そこでこの「さしみ食わせろ」を見てほしい。

これ、うまいだろうか?ぼくが書いたわけじゃないです。書いたのは10歳の少年だ。もちろん本人を目の前にしたらヘタとはいわないけど、遠慮なく率直に感想をいえばヘタだ。うまくはない。

これを書いたのは野口晴輝くん10歳、享年も10歳である。この作品にはお母さんが書いた説明文がある。

「治療中は、火の通っていない生ものを食べることができません。刺身やお寿司が大好物だった息子は、我慢に我慢を重ねていて、病室で思いついた言葉を習字で書いているときにこの言葉を書きました。そして病室に貼りだして先生に毎日、『食べてもいい?』と聞いていました。今は我慢しなくていい世界でおいしいものをたくさん食べて、楽しい時間を過ごしているのかな。そうであることを願います。母」

おそらく小児がんで入院をして治療をしていたのだと思う。お母さんの説明文を読んでからまた「さしみ食わせろ」を見てほしい。どうですか?うまさは変わらないですよね、ヘタです。うまいヘタじゃなくて、作品としていいですか?それともダメですか?きっとほとんどの人の心を摑んで揺さぶりましたよね。

ぼくは作品として素晴らしいと思います。いいという言葉すら超越したものを感じます。習字ではなく書だと思います。いい作品のお手本だと思います。だけど、この作品はお母さんの説明文がないと成立しないんです。だって「さしみ食わせろ」だけじゃ背景がわからないからです。これは写真もおなじことなんです。

いい作品というのは、見た人に感情が伝わるものだとぼくは思います。だからぼくが辿り着いたいい写真の答えは、伝わる写真です。

写真も説明文がないと伝わりません。絵画だってちょっとよくわからないですよね。パリの最先端ファッションショーとかも。写真展に行ってもよくわからない写真っていっぱいありますよ。

逆に映画や漫画は伝わりやすいです。一度鑑賞しただけで人生を左右するような作品に出会うこともあります。映像や絵があってセリフで説明されているから、鑑賞者に伝わりやすいのだとぼくは思ってます。

「写真を見た人がそれぞれ感じてほしい」とか「言葉にならないことを撮りたい」なんてことをよく耳にします。撮った本人は説明せずとも自分が理解しているからいいんです。だけど写真を見た人にはわかりません。

言葉がなくても伝わる写真は確かにあります。だけどそんな写真を撮れる人は世界の写真史に名を残すぐらいの人物だと思います。

いい写真は伝わる写真です。だけど、言葉がないと伝わりません。

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