日本酒を飲んでみたらオイシイことだらけだった

ちょっと大きなプロジェクトが終わり、先輩に連れてこられた和食のお店。
白木を基調とした店内、照明も明るくオシャレな雰囲気に、須玖(すぐ)ヨウコ（24）はちょっと浮かれる。
「大人になったみたい…」。普段はチェーンの居酒屋で時々飲むくらいのヨウコ。
通されたカウンター席で、先輩の能見(のみ)マスミ（33）は慣れた様子だ。

マスミ　ヨウコは何にする？　私は日本酒にするけど。
ヨウコ　いきなり日本酒ですか。すみません、私…レモンサワーで。
マスミ　アルハラ上司じゃあるまいし、好きなの飲んでよ(笑)。

パパっとオーダーを済ませ、待つこと数分。ドリンクがやってきた。
マスミ先輩の前には、ガラス製のオシャレな器に入った日本酒。
先輩はそれをさっさと手酌でお猪口に注ぐ。

二人　じゃ、かんぱーい！

ヨウコ　先輩、日本酒が入ってるガラスの器、かわいいですね。
マスミ　これは片口っていうの。素材もデザインもいろいろあるのよ。

そう言いながら、スッとお猪口を口に運ぶ先輩の姿はなんだかカッコいい…！　
仕事ができて気さくな性格のマスミ先輩は、部内でも男女ともに人気があって、
ヨウコの憧れでもあった。

ヨウコ　あ、先輩、お注ぎしますね。
マスミ　あー、いいいい。面倒じゃん。
ヨウコ　そ、そうですか？
マスミ　手酌がいいの。自分のペースで飲める手酌派って、増えてるのよ。

ニコニコしながら、お猪口にお酒を注ぎ、一口飲むたび「ほぅ」と顔をほころばせる。
（先輩、なんだかカッコイイ！）

ヨウコ　…それにしてもおいしそうに日本酒飲みますね。

マスミ　ちょっと飲んでみる？　お猪口もう一個あるし。
ヨウコ　少しだけなら…

お猪口に少なめに注がれた日本酒におそるおそる口を近づける。

ヨウコ　あれ？　いい香り。
マスミ　香りに気がつくなんて、なかなかやるわね。
ヨウコ　えー、だってパインみたいな…？　なんかフルーツっぽい香りが。

恐る恐る口に含んでみると、ふわーっと甘酸っぱいさわやかな味わいが広がる。

ヨウコ　えっえっ!?　コレって本当に日本酒ですか？

ニヤニヤするマスミ先輩。

マスミ　でしょ？　私も最初そうだったの。
ヨウコ　えー、びっくりです。もっと…アルコールっぽいと思ってました。
マスミ　これは“鳳凰美田（ほうおうびでん）”っていう栃木の日本酒。
ヨウコ　香りもいいし、日本酒に対するイメージ変わりますね。
マスミ　そうよね。私も父親が飲んでた日本酒は鼻にツンときて苦手だったし、
学生時代に日本酒で泥酔したことがあって、前はいい印象なかったな。
ヨウコ　こんなにおいしいと…思わなかったです。でもすぐ酔っぱらっちゃいそうですね。
マスミ　名前のとおりだ。スグヨウコ(笑)。でもね、今は意外とアルコール度数の低い日本酒もあるんだよ。それこそ、今、ヨウコが飲んでるレモンサワーと同じくらいの。
ヨウコ　ホントですか？　レモンサワーって５～６％ですよね？
マスミ　あるある。今日のお店にはないけれど、“讃岐くらうでぃ”（川鶴酒造株式会社）は６％なんだな。
ヨウコ　讃岐ってことは香川ですか？
マスミ　そう。香川のご当地グルメの骨付き鳥に合うんだこれがー。薄く濁ってて味もカルピスっぽい。
ヨウコ　すっごい詳しいですね！　カルピスって…！
マスミ　…全国食べ歩き飲み歩きが私の趣味だからね。乳酸菌飲料っぽい日本酒は、けっこうあるよ。発酵という点ではおんなじだし。
ヨウコ　…え、それ一緒ですか？
マスミ　大きく言えば一緒だ！
ヨウコ　なんだか日本酒って面白そうですね。私もちょっと頼んでみようかな。

ドリンクメニューを手にしたヨウコは、日本酒ラインナップを見た途端、目を白黒させる。

ヨウコ　先輩…まったくわかりません。そもそもなんと読むのかすらもわからない…
マスミ　やっぱりそうだよね。
ヨウコ　これなんて読むんですか…？

と、一番先頭に書いてある日本酒を指さす。

マスミ　じこん（而今）だね。三重県の日本酒だよ。
ヨウコ　次回見たらまた忘れてそうです。この“山田錦”とか“雄町”ってなんですか？
マスミ　どちらも日本酒を造る専用のお米の銘柄。ワインにおけるブドウの品種と同じ。両方とも人気だけど、特に山田錦は日本酒用のお米の王様って言われているわ。
ヨウコ　……結局何を頼めばいいのかわからないです。
マスミ　私の場合は、だいたい３つの切り口で日本酒を選んでるかな。
ヨウコ　それ、教えてください！

マスミ　その１、“吟醸”って書かれてる日本酒を選ぶ
　　　　その２、出身地の日本酒を選ぶ
　　　　その３、ラベルで選ぶ
ヨウコ　吟醸…？
マスミ　特定名称のうちのひとつで、お酒の肩書みたいなものかな。どんなお酒かある程度わかる指針ね。吟醸酒はフルーティで飲みやすい日本酒が多いから、初めて飲む人でも飲みやすいって感じることが多いのよ。
ヨウコ　こっちは「大吟醸」って書いてありますね。
マスミ　吟醸酒はお米を磨くことで香りが高くクリアな味の日本酒になる。
大吟醸はさらにお米を削って、よりクリアな味に仕上げるの。贅沢なお酒ね。
ヨウコ　む、難しいですね。
マスミ　ちょっと乱暴な説明だけれど、例えば、グレープフルーツを皮ごとジュースにするか、実だけでジュースにするかの違いみたいなもの。
ヨウコ　ああ、それはなんとなくイメージできます(笑)。
マスミ　大吟醸は５割以上、吟醸は４割以上米を削るとか、肩書を名乗るには細かい規定があるんだけど、興味があったらゆくゆく覚えていくといいと思うよ。
ヨウコ　そうですね…。銘柄を覚えるだけでも精いっぱいかもです。
マスミ　そんなときは見た目で決めるといいよ。

そういってマスミ先輩は、日本酒が並ぶ冷蔵庫を指さした。

ヨウコ　その３のラベルで選ぶ、ですね。先輩、あのハートが２つのラベル、かわいいです！
マスミ　どれどれ…。あ、あれは“天花（てんか）”だね。秋田の日本酒だよ。とっても飲みやすいからオススメ！　それに季節限定だしね。

限定と聞いて、目を輝かせる。

ヨウコ　私、あれにします！

マスミ　日本酒って生産量が少ないものが多くて、一期一会みたいなものだから、
気になったら飲んでおくといいよ！
ヨウコ　それならちょっとずついろんなのを飲んでみたいですね。
マスミ　ここは、１合（180ml）の半分の量から選べるよ。90mlの場合は、ワイングラスに入れてくれるの。
ヨウコ　ワイングラスで？　なんだかオシャレですね。でも、そんなに飲めなかったら困るから、１合にして先輩も一緒に飲んでください。

今度は、陶器の片口で運ばれてきた。

ヨウコはお猪口から、くんっと香りを嗅ぐと、パッと驚いたように黒目を輝かせる。

ヨウコ　この日本酒も、さわやかで苺みたいな香りがします。ハートが赤いからそう見えるのかなぁ。
マスミ　いや、確かに苺っぽいよ。

一口飲んで、ヨウコが笑顔になる。

ヨウコ　わああ、甘さもあるし、酸味も感じて、さっぱりします。それこそ苺みたいな。
マスミ　うん。フレッシュでさわやかな酸味と軽い苦味がバランスいい。
ヨウコ　さっき限定って言ってましたよね？
マスミ　そう。ボトルに“生酒”ってシールが貼ってあるでしょう。生酒は絞ったそのままのフレッシュなお酒のことで、冬から春先に出回ることが多いの。
ヨウコ　そういうものなんですか。
マスミ　日本酒って大体寒い時期に作るのね。だから出回るのもその時期の季節限定。
生だと味がどんどん変化していくから、造ったらできるだけ早く飲むの。
ヨウコ　生ものは早めにお召し上がりくださいって言いますもんね。
マスミ　…ちょっと違う気もするけど、まあ、おおよそ間違ってない(笑)。ちなみに、アレは蔵元さんイチオシでエースのお酒だから、ハートラベルなんだってさ。
ヨウコ　トランプの…？　それならスペードとかクローバーでもよくないですか？
マスミ　エッ、エースといえばハートで、ピンとこない？　いや、私も全然世代じゃなくて、母親が歌ってたから知ってるんだけど…（ハートのエースが出てこない）。

一瞬、変な間が二人の間を流れる。


ヨウコ　そういえば、これはなんて読むんですか？
マスミ　ああ、それはね、しらたき（白瀑）だよ。これは私も、最初は“はくばく”かと思ってた(笑)。
ヨウコ　へぇええ、漢字の勉強になりそうですね。
マスミ　いや、ならないでしょ(笑)。

日本酒のメニューを見ながら、銘柄の読み方クイズを始める二人。
ヨウコの「私、これからは日本酒もいろいろ飲んでみようと思います」という一言に、
思わず嬉しくなるマスミだった。


イラスト／藤原基央
編集／株式会社ナート
文／小野寺涼子