むかしむかし川のほとりの村に美しい娘が住んでいました。
ある日、鷹狩りで村に来たお侍さんが娘にひとめぼれしました。
いろいろあってふたりは結ばれたり、ひどい目に遭ったりしました。
そんなこんなで娘はお侍さんを思いつつ、川に身を投げてしまいました。
娘を不憫に思った村人は、この川を「思川」と呼ぶようになりました。
いや、私の妄想なので信じないでください。お彼岸が近いある日、新幹線も停まる小山駅のとなりでひとつ先は栃木駅という絶妙の立地に引き寄せられて、栃木県の思川駅へ。ロマンチックな駅名ですね。小山駅周辺はビルが立ち並んでいますが、西側を流れる一級河川の思川を越えると、一気に田園風景が広がります。小山駅を出て5分で、こぢんまりとした駅に到着。事務所の近くの池袋駅から湘南新宿ラインに乗って1時間半ぐらいでした。

儲け度外視の極厚ロースカツ丼に秘められた亡き妻への思い【JR両毛線思川駅】
にぎやかな駅の隣にひっそり佇む地味な駅を旅する3回目、今回はJR両毛線の思川(おもいがわ)駅。小山駅と栃木駅にはさまれた静かな駅にほど近い食堂で、人情カツ丼の店主と出会った。
派手な駅のとなりの地味な駅を旅する stroll・3
ロマンチックな駅名に惹かれる

駅の南北を結ぶ高架橋の中央に無人の改札があります。いわば「天空の駅」ですね
両毛線の前身の両毛鉄道は、1888(明治21)年に小山駅から桐生駅までが開通。ずいぶん早いですが、群馬方面の生糸や桐生で作られる絹織物を東北本線経由で東京や横浜に運んでいました。思川駅は両毛線が国有化されたあとの1911(明治44)年に開業。今年2022年でちょうど111年目ですね。乗降客数は一定の基準に達していないせいかデータが発表されていません。地元の人の話によると「まあ、高校生しか乗らないね」とか。
まずは整備されたばかりっぽい、北口を探索してみましょう。駅前には新築の一戸建てが整然と建ち並んでいます。しかし、お店の類は見事に一軒もありません。5分ぐらい歩くと家がなくなり、一面の田んぼが広がります。ひと駅来ただけで、ここまで風景が変わる場所も珍しいかも。しかも、立地的には東京への通勤圏と言えなくもないのに。あ、住宅地の横の農家の庭に人影が。思川駅に来て初めて人の姿を見ました。

高架橋から栃木駅方面を見るとこんな感じ。橋上駅舎になったのは2010(平成22)年で、翌年に駅の南北を横断できる通路と北口ができました。わりと最近まで南北の行き来はひと苦労だったんですね
ご夫婦で庭の草取りをしてらしたのは、代々この地に住んでいる土谷康雄さん(65)と奥さん。
「ちょっと前まで駅のこっちは田んぼしかなかったけど、2年ぐらい前から家が建ち始めて新しい人が増えてきたかな。まあでも、のどかな場所ですよ。思川の魅力ねえ……。何もないのが魅力かな」
子どものころを想い出す風景が広がる
きれいな田んぼが広がっていると思ったら、それもそのはず、思川駅北口の木本地区は「とちぎのふるさと田園風景百選」に選ばれているそうです。「ほら、あっちに森が見えるでしょ。篠塚稲荷って神社があるんだけど、毎年春の初午祭のときには派手な座布団を載せた飾り馬が、このへんを練り歩くんだよね」と土谷さん。あ、あの森ですね。1キロぐらいあるかな。せっかくなので行ってみます。ありがとうございました。

田んぼの向こうにはコンバイン。これから稲刈りですね。たくさんの実り、おめでとうございます
鎮守の森を目指して黄金色に実った稲を眺めながらテクテク。田んぼの畦には彼岸花が咲いています。そうそう、ずっと忘れてたけど、秋の田んぼってお米とワラが入り混じったいい匂いがしますよね。空には大きな白い鳥が悠然と羽を広げ、用水路にはトンボやチョウチョが舞っています。子どものころの通学路は、こういう感じでした。

暦通りのタイミングで見事に咲いた彼岸花。じっくり見るのは小学生のころ以来かも
小山の市街地から5キロぐらいの場所に、ここまで見事な田園風景が残っているのは考えてみたら奇跡です。小山市の資料によると、思川駅周辺は線路で南北が分断されていたことや大きな道路から離れていることなどが原因で「開発が遅れた」とのこと。ヨソ者の無責任な意見としては、おかげで別の「豊かさ」と「大切な財産」が守られているんだから結果オーライではないかと。ただ、同じ資料では農家の後継者不足も指摘されていました。駅前にあったような住宅団地エリアが、これからどんどん広がっていくのかなあ……。

ひと休み中のシラサギ(たぶん)。このあと稲刈りが済んだ田んぼに舞い降りて何か食べてました
田園散歩を満喫しつつ、篠塚稲荷神社に到着。神楽殿もあって、とても立派な神社です。境内の木はきれいに手入れされていて、ゴミひとつ落ちていません。地域のみなさんに愛されているんですね。

800年ぐらい前からこの一帯を護ってきました。左が神楽殿
誰かいらっしゃったら、このへんのことやお祭りのことを教えてもらおうと思ったんですが、社務所兼集会所は残念ながらお留守でした。あっ、看板のこの写真が噂の「飾り馬」ですね。初午には流鏑馬もやるようです。なかなか盛大なお祭りですね。

「飾り馬」はおはやしに先導されて歩くとか。オシャレしてウマも誇らしそうです。知らんけど
ぼちぼちお腹が空いてきました。じつは、さっき土谷さんに「このへんでご飯食べるところありますか?」と聞いて、おすすめのお店を教えてもらってあります。その名も「思川食堂」。駅の反対側を少し行ったところにあるとか。ふたたび田んぼの脇をテクテク。1キロを歩いて戻るのは日常生活だとウンザリですけど、旅ではそういうのも楽しいですよね。

60年ほど前に小山市に編入されるまで、このあたりは「美田村(みたむら)」でした。名は風景を表わす
巨大カツ丼にガブリつく
なんてことを考えながら駅を背に3分ぐらい歩くと、ありました「思川食堂」。入口の横の食品サンプルのケースの素朴な佇まいが「この店は間違いなくおいしい」と教えてくれています。

カツ丼のところに「人気NO1 極厚ロースがうまい!」とあります。よし、これだ!
カツ丼を注文して、待つことしばし。来た来た。うわ、分厚い! 予想以上の「極厚ロース」っぷりです。ガブリ。おお、やわらかくてジューシー。豚肉の脂の甘味と出汁の香りが口いっぱいに広がります。これはおいしい。すごいカツ丼に出会ってしまいました。

同店は「栃木県スローライフ推進事業〈とちぎの食材〉を最大限に活かしたお店85店」に選ばれています
「いい女房でしたよ」
「食べた人に喜んでもらいたいと思って、地元の肉屋さんからいい肉を仕入れて、ぎりぎりまで厚くしました。おかげで儲けはありませんけどね。ハハハ」と笑うのは、ご主人の板橋和三さん(73)。お店は1964(昭和39)年創業。今年で58年になります。
「中学を出て2年ぐらい小山の蕎麦屋さんで修業したあと、生まれ育ったこの場所に戻ってきて、両親といっしょに食堂を始めました」

「思川食堂」(営業時間10:30~19:00、日曜定休、電話0285-37-0022)
「二十歳で結婚して、それから家内とふたりでずっとやってきたんですけど、4年前に先立たれちゃって。苦労ばっかりかけちゃいました。いい女房でしたよ」と板橋さん。今は娘さんがSNSでお店の情報を発信してくれるなど、子どもや孫に励まされながら「どうにか続けてます」とのこと。「お肉もですけど、出汁もおいしいですね」と言うと、少しテレながら「蕎麦屋で修業してたから、出汁は手をかけてます」と教えてくれました。

Web看板犬の紀竜くんが、インスタ(omoigawashokudou #思川食堂)でお店の情報を発信しています
地元の人に愛される幸せ
長い歴史の中では、近くの工場の朝ごはんとお弁当を任されて、目が回るほど忙しかった時期もありました。「まあ田舎の食堂ですから、のんびりやってきました。地元を離れた人が帰省したときに寄ってくれたりすると、長くやっててよかったなと思います」と振り返ります。もし、にぎやかな小山の街でお店を出していたとしたら?
「そうですねえ、ここよりは儲かったかな。でも、体を壊したり人に騙されたりしたかもしれない。この場所で地元の人に愛されて長くやってこられて、幸せだったと思います」

懐かしいクリームソーダ(500円)も名物メニューのひとつ
お店ごとにいろんなかつ丼があるように、お店ごとに歴史があり、店主の思いがあります。おなじみのチェーン店ではなく、ちょっと勇気を出して入った知らないお店で食べた食事が心に残るのは、そんなスパイスが加わっているからかもしれません。
派手な駅での暮らしも地味な駅での暮らしも、それぞれの魅力とそれぞれの苦労とそれぞれの幸せがあります。今回も「思川駅」の周辺ならではの空気を吸って、風景を満喫して、ここで生きている人たちならではのお話を伺うことができました。しばらくのあいだは、川を見るたびに、稲刈り間近の田んぼの匂いと肉が超分厚いかつ丼を思いそうです。

夕方の思川駅は通学の高校生でにぎわっていました。高校生活、めいっぱい楽しんでくださいね
取材・文・撮影/石原壮一郎
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