フィービー&ひろ子顔合わせの理由

1985年の最大のニュースは、日本のアイドルである薬師丸ひろ子が6月号の表紙を飾ったことだろう。「ロードショー」はフィービー・ケイツの来日に合わせて、特別対談を企画。そのときに奇跡のツーショットが撮影されたのだ。

「ロードショー」だから実現できた。フィービー・ケイツ&薬師丸ひろ子ツーショット!!_1
1月号/ダイアン・レイン 2月号/フィービー・ケイツwithグレムリン 3月号/ソフィー・マルソー 4月号/フィービー・ケイツ 5月号/ダイアン・レイン 6月号/フィービー・ケイツ&薬師丸ひろ子※初登場
©ロードショー1985年/集英社
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フィービー・ケイツといえば当時「ロードショー」の人気ナンバーワンで、1985年のシネマ大賞女優賞を受賞している。一方の薬師丸ひろ子は、80年代のアイドルブームのなかでも映画を中心に活動する希有な存在で、熱狂的な人気を誇っていた。ロードショーも82年あたりから頻繁に特集を組んでいたが、洋画誌であるがゆえに、表紙での起用は控えていたのだろう。だが、フィービーの来日という僥倖に恵まれ、日米のトップアイドルが表紙を飾ることになったのだ。

ちなみに、日本人が「ロードショー」の表紙に登場したのは薬師丸ひろ子が初めて。アジア俳優としても、ノラ・ミャオ(1975年)、ジャッキー・チェン(1982年)につづいて3人目である。

いずれにしても、タッチ&ゴーな現在の海外スターの来日スケジュールを思うと、ありえないコラボレーションだ。
雑誌が映画のヒットに寄与できる時代であり、映画会社とも密な関係を築いていたからこそ実現したのだろう。

なお、表紙の登場回数では、フィービー・ケイツとダイアン・レインが最多4回。ソフィー・マルソーが3回で追う展開だ。この固定化されたスタメンに11月号で食い込んだのがジェニファー・コネリーだ。『ワンス・アポン・ア・タイム・インアメリカ』(1984)で映画デビューを飾り、ホラー映画『フェノミナ』(1985)でヒロインに抜擢。絶世の美少女として注目を集めた。その後、演技派女優に成長し、『ビューティフル・マインド』(2001)でアカデミー主演女優賞を受賞。大ヒット中の『トップガン マーヴェリック』(2022)にも出演するなど、いまでも活躍を続けている。