80年代の「ロードショー」を象徴するスターが1980年1月号に初登場している。『リトル・ロマンス』(1979)で映画初出演を果たしたダイアン・レインだ。『明日に向って撃て!』(1969)『スティング』(1973)の名匠ジョージ・ロイ・ヒル監督に見いだされた彼女は、13歳で映画デビューを果たす。その後、『ゴッドファーザー』(1972)『地獄の黙示録』(1979)のフランシス・フォード・コッポラ監督と出会い、『アウトサイダー』(1983)『ランブルフィッシュ』(1983)『コットンクラブ』(1984)に出演。巨匠たちに認められた演技力と、愛くるしいルックスで、80年代の「ロードショー」を飾るアイドルのひとりとなる。6月号でも表紙を飾ったほか、「15才のダイアン・レイン物語」(3月号)「ふるさとのダイアン・レイン」(4月号)などの特集が組まれている。その後長く、「ロードショー」を彩るスターの誕生だ。
『チャーリーズ・エンジェル』(1976~)も依然として人気だ。ファラ・フォーセットが2月号、シェリル・ラッドが5月号と8月号の表紙、さらにジャクリーン・スミスも3月号でデビューを飾っている。
他のニューフェイスは、TVドラマ『ファミリー・愛の肖像』(1976~1980)のクリスティ・マクニコルと、『テス』(1979)のナスターシャ・キンスキー(12月号)だ。

ジャッキー・チェンが大ブレイク! なのに表紙に起用されない理由とは!?
ハリウッド映画が世界を席巻する80年代が華やかに到来。「ロードショー」のカバーもアメリカの美しい女優たちに占められる。そんななか、香港のアクション・スター、ジャッキー・チェンがブレイクを果たすが…?
ロードショー COVER TALK #1980
ダイアン・レインがデビュー!

1月号/ダイアン・レイン※初登場 2月号/ファラ・フォーセット 3月号/ジャクリーン・スミス※初登場 4月号/テイタム・オニール 5月号/シェリル・ラッド 6月号/ダイアン・レイン
©ロードショー1980年/集英社
表紙はアメリカ女優のみの時代に
さて、1980年にはもうひとり大ブレイクしたスターがいる。アジアが世界に誇るアクション俳優、ジャッキー・チェンだ。日本において最初に劇場公開されたのは、1979年に邦画『トラック野郎・熱風5000キロ』と併映された『ドランク・モンキー 酔拳』(1978)だった。次作『クレイジーモンキー 笑拳』(1979)でジャッキー・チェンは監督業にも進出。さらに、『バトルクリーク・ブロー』(1980)でアメリカ進出を目指していた時期とあって、「ジャッキー・チェン“失踪”の謎を追って」(3月号)「テキサスよりジャッキー・チェン15ページ大特集」(5月号)「アメリカのジャッキー・チェン第2弾」(6月号)「サンタモニカのJ・チェンから夏だより」(7月号)「ジャッキー・チェン最新情報!」(9月号)「J・チェンの『バトルクリーク・ブロー』PHOTOストーリー」(10月号)「付録・決定版全44ページぜーんぶJ・チェン」(11月号)とほぼ毎号にわたって特集が組まれている。
読者投票でもずっと上位を独占する人気ぶりだったが、表紙には登場していないジャッキー。実は男性のカバーは1977年7月号のアラン・ドロン以降絶えてしまっているのだ。また、創刊号のカトリーヌ・ドヌーヴ以来、脈々と続いてきたフランス俳優の起用もほぼなくなって、とにかく華やかなアメリカ美女が主流に。ハリウッド映画とウーマン・パワーという、80年代の趨勢をきっちり反映したラインナップとはいえるが、はたしてジャッキーがカバーボーイになる日はくるのか、またフレンチ・スターは返り咲くのか…は、数年待ってみていただきたい。

7月号/トレイシー・ハイド 8月号/シェリル・ラッド 9月号/マーク・ハミル※初登場&キャリー・フィッシャー 10月号/クリスティ・マクニコル※初登場 11月号/ブルック・シールズ 12月号/ナスターシャ・キンスキー※初登場
©ロードショー1980年/集英社
1980年最大のヒット映画は、『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(1980)だ。「ロードショー」も「『スター・ウォーズ2』特報!!」(2月号)「『スター・ウォーズ2』カラー特報第2弾!」(3月号)「新着カラー一挙掲載!!『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』」(5月号)「完全PHOTOストーリー『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』」(6月号)「『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』のすべて」(7月号)、「『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』大特集」(8月号)と盛りあげている。
そのピークは、キャリー・フィッシャーとマーク・ハミルが表紙を飾った9月号で、「カラー&記事決定版大特集『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』」と銘打ち、来日したマーク・ハミル、キャリー・フィッシャーの特写やインタビューを展開。ちなみに「ロードショー」の表紙が単一スターのピンナップでないというのは、これが初めてだった。
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