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少年時代の思い出

筆者が藤井二冠の姿を初めて見たのは、彼が小学校2年生の時。私が設営の手伝いをしている「岡崎将棋まつり」の小学生大会低学年の部で、瀬戸市から参加した聡太少年が優勝した時だ。優勝者は舞台に上がって谷川浩司九段から賞状をもらったのだが、その時の天真爛漫な笑顔が印象に残っている。

岡崎将棋まつりでの優勝は2010年4月29日のことだが、実はそのひと月ほど前の3月に藤井はあるセンセーションを巻き起こしていた。名古屋市で行われた第7回詰将棋解答選手権の一般戦。アマ四、五段の大人でも頭を抱える詰将棋の大会だが、そこに参加した7歳のちびっこが大人に交じって2位になるという快挙を成し遂げたのだ。藤井が将棋関係者を最初に驚かせたのがこの時である。

以来、藤井の成長と詰将棋解答選手権での活躍は切っても切り離せない。活躍ぶりはあとで詳しく述べるが、きっかけになったのがこの2010年という年だ。

もっとも、当時私は藤井の天才ぶりをまだよく知らなかった。詰将棋解答選手権の活躍は耳に入ってはいたが、その後の成長までは予想できなかった。今思えば、もっと写真を撮っておけばよかった。話を聞けばよかった。谷川九段とのツーショットも撮るべきであった。後悔先に立たず。見る目のなさを恥じるしかない。

藤井が東海研修会を卒業して小学校4年生で関西奨励会に入った頃から本格的に様々なうわさが流れてくるようになった。当時、東海研修会の幹事をしていた棋道指導員の竹内努氏からは、「名古屋では、次の名人は藤井君だと言われています」という話も聞いた。

藤井が奨励会に入ったのは、2012年8月、10歳になったばかりの時だ。その頃の名人戦の状況を思い出してみよう。

2002年に森内俊之名人が誕生してから、名人戦は羽生善治九段と森内俊之九段の2強時代が長く続いた。2002年から2015年までの名人戦の勝者を順番に並べると、森内、羽生、森内、森内、森内、森内、羽生、羽生、羽生、森内、森内、森内、羽生、羽生となる。

その間、渡辺明名人の竜王9連覇もあったが、こと名人戦に関しては羽生と森内が順番に名人を取る時代が14年間続いた。そんな時に、まだ10歳の少年が「次の名人」と言われたのだ。いくら名古屋ローカルの話とはいえ、奨励会に入ったばかりの子どもが、こんなことを言われるのは普通じゃない。

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小学4年生のときの文集。将来の夢は「名人をこす」
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