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「食べられなければ賠償請求しよう」

福島県二本松市街からなだらかな阿武隈山地に分け入った旧東和町(2005年の合併で二本松市に)は有機農業のまちづくりで知られていた。

「堆肥センター」では、農家からの籾殻(もみがら)と、牧場の牛糞、カット野菜やおからといった食品残さで有機肥料をつくり、田畑に還元してきた。

有機肥料で育てた野菜や、養蚕の歴史を活かした桑茶や桑パウダーを道の駅「ふくしま東和」で販売する。事業を担うNPO「ゆうきの里東和」の売り上げは震災前には年間約2億円に達していた。

2011年3月の福島第一原発事故は「安心・安全」の有機農業を根底からくつがえした。

存亡の危機を前に東和の農家は生産者会議を開いた。彼らは諦めなかった。

「やってみないとわからん。耕して種をまこう」

「出荷制限されて食べられなければ損害賠償を請求しよう」

営農を継続し、野菜に含まれる放射能を自主的に測定する体制をつくりあげた。

【震災12年】「若い家族は戻ってこない。そんな村に未来があると思いますか?」いまも山菜は高濃度…放射能汚染と闘う農家が起こした「奇跡」と、取り戻せない風景_1
道の駅「ふくしま東和」(写真は2021〜2022年に撮影、以下同)
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