転換点としての天皇機関説問題

―― この三部作は最初が昭和五年、次作が昭和八年と、戦争に向かう足音が聞こえる社会を背景に描かれています。今回の『愚者の階梯』は昭和十年、翌年に起きる二・二六事件の前夜です。「不敬」ということが盛んに言われ始め、非合法の共産党員の取り締まりも厳しくなる。美濃部達吉・東京帝国大学教授の天皇機関説問題も起きました。

 現代ではそんなに言及されませんが、実は天皇機関説を糾弾したことは大きな問題だと私は考えているんです。「国家を一つの巨大な法人とすると、大日本帝国憲法はその最高意思決定機関を天皇としている」という天皇機関説は、当時の法曹界の常識だった。それなのに、いきなり非難が巻き起こったんです。憲法で天皇に主権があると認めていたことを否定し、超法規的な存在にしてしまった。天皇は神だから、神聖侵すべからず。その後、国体明徴の訓令が通達され、右傾化が進んでいく。日本は西洋とは違うから、天皇を法律の中で解釈してはいけないと言ってしまうわけです。そうすることで、はっきりと日本が世界の常識からこぼれ落ちていく。この点はしっかり認識しておいた方がいいと思います。

―― なにか、現在と二重写しになって見えますね。

 もともと天皇機関説を取り上げようと思ったのは、連載前に日本学術会議の会員の任命拒否問題が起きたからです(二〇二〇年九月)。割とみなさん無視しているけれど、この学術会議の件は大変な問題なんじゃないか。首相が任命すると言っても形式だけだという従来の見解を変え、推薦された候補を拒否するなんて、やってはいけないことなのではないかと思ったんです。
 前作の『芙蓉の干城』のときに、滝川事件にちょっと触れました。京都帝国大学の滝川(幸辰)博士の刑法論が共産主義の内乱を肯定すると見られ、文部省が罷免要求したんです。このときは、京大は全学立ち上がって反対運動が起きたのに、美濃部さんのときは、誰も守ってあげなかった。それまですべての法律家が美濃部説をもとにし、警察から官僚から何からの絶対的権威だった美濃部説が、不敬罪に問われる。その変転が、あっという間に起こるのはものすごいことだと思いました。新聞を読んでよくわかりました。

―― 当時の新聞を読まれたんですね。

 そうです。騒ぎの最初の頃は、美濃部博士は天皇機関説の批判に対して、堂々と論破しているわけです。それで落ち着いたのかなと思ったら、あれよあれよという間に貴族院の菊池武夫議員ら、軍人上がりの右翼の人たちが不敬だと主張してやまず、しかも声が大きくて、世論が引きずられていく様子が、新聞を読んでいると驚くほどよくわかります。
 昭和十一年に美濃部博士は右翼に命を狙われ、撃たれてしまいます。その数日後二・二六事件が起き、この事件を機に軍部の暴走を止められなくなったというのは定説ですが、その前に天皇機関説問題があった。しかも当時のインテリが誰もことの成り行きを止められなかった。やはり日本の変わり目の一つだと思います。その大きさについて、今私たちは知っておいた方がいい。学術会議の問題が起きたときに、そんなことを非常に強く思ったんですよね。

―― 桜木治郎が天皇機関説の報道に接して、「真っ当な知識人が影をひそめ、偏狭な日本バカが大きな顔をしだした」と嘆いています。また、美濃部博士と同じ目に遭ったら、「自分にはとても耐えきれない」と、己に失望もしています。

 インテリってなかなか世の中を動かせない。その弱さを、桜木先生を通じて書いておきたかったんです。例えば、大道具方の長谷部棟梁は、木挽座に潜伏した共産党員が川端専務殺害の嫌疑をかけられたと聞いて、「いや、それは違う。違うんだ、先生」といきり立たんばかりになる。地に足がついて仕事をしている人たちは、そういった素性を知っても今までの経験で人を見る目を持っていた。インテリのどこか頭だけで考えている弱さという点も気になるところです。
 日本がなぜ戦争に突き進んでしまったかということは、近代史の上で避けて通れない問題だとずっと思っています。このシリーズは結局、それが大きなテーマとして内在する昭和三部作です。戦争を止められなかった理由はいろいろなことが絡んでいるけれど、インテリの弱さというのも一つあったと思えるんです。

老人力と芸の力という救い

―― こういう時代相に対抗できるのが、荻野沢之丞や、長谷部棟梁といった維新の混乱から時代の変遷を乗り越えてきた老人たちですね。

 沢之丞は若い者にとっては厄介な御大でもありますが、「日露戦争で日本が勝って、これで世界の大国になれたと浮かれ騒いでた子供が大人になったから、本当にバカなんですよ」と看破したりもします。それは本当にそうだと思います。例えば、石原莞爾や東條英機は、すごく若いときに日露戦争の戦勝経験がある。日本はすばらしいと思えた世代の人たちが、戦争を起こしてしまうわけですよね。私の少し下の世代ですと、二十代の頃に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われて育った人たちの中に、「日本はすごいのに、今なんで駄目になっているんだ。もっと防衛費を増額して武力を持って対応した方がいい」と言ってしまう人も多いと思います。

―― 昭和十年と現代がますます重なりますね。

 私は若い頃から歌舞伎にかかわる仕事をしてきて、お年寄りとつき合いが多かった。若い女の子に対してはあまり警戒心を持たれないから、歌舞伎界のそうそうたる老人からじかに話を聞いています。だから、老人の侮れなさはやはりあるなと思うのと、年を取った人って、私が見ている日本とは全然違うものを見ていたんだなという実感があります。

―― 沢之丞らの老人力の他に、宇源次に代表される芸の力が暗い世の現実から一時でも逃れさせてくれる存在になっています。芸術、芸能の力を信じていらっしゃいますか。

 信じていますね。というのは、うちの母親が戦時中に宝塚歌劇に夢中になっていて、空襲警報が鳴ると防空壕に入り、解除されるとまた出てきて観たんですって(笑)。昭和十八年とか十九年のことです。そんなときまで観ていたんだという話を子どもの頃から聞いていますから、ぎりぎりまで娯楽や芸術を求めるのが人間なんだな、どこかで現実ではないものを求めるんだなと思っていました。
 昔の文献を見ていますと、歌舞伎も元禄地震や南海トラフの宝永地震のときでも、一か月もすると顔見世(興行)をやっているんですよ。驚きますよね。要するに、昔は木造だから、全壊してもさっさと芝居小屋を建てられるわけです。関東大震災のときでも、二年も経たないうちに、東京でも劇場を開けています。昔は、もうやるしかないというのでやってしまうし、多分そんなに難しく考えなかったと思うんです。現代の人は難しく考え過ぎてしまうのではないでしょうか。

―― そんな時代にあって、キネマの隆盛や、亀鶴興行の近代化が絡みながら、事件は復讐劇の様相を呈していきます。しかもその事件は、魔性の人に動かされたような怪しい成り行きとなります。

 本人が別に何かをしろと言っているわけではないのに、勝手に周囲が動き、誰も責任を取れないようなことをしでかしてしまうということがありますね。「忖度」もそうだし、ある種、天皇制がその最たるもの。最初の方に天皇機関説の話を置いたのも、最後の締め方にしても、日本の何とも言えない、中心が空っぽであるという感じ、つまり中心の意志はないにもかかわらず、そこに意志があるかのごとくみんなが行動する怖さを感じながら書きました。ある種の日本社会の同調圧力というのとは別個に、そんな病気があるような気がしています。中心にいる本人も気の毒なんだけど、そういう話ってよくありますでしょう。それを書いてみたいなと思ったんですよね。

―― これで、歌舞伎ミステリー三部作は完結しました。松井さんの作品はしっかりした裏付けと、流れるような筆運びで読ませていく、歴史時代小説の王道を行くものと思います。次にお考えのものは何かありますか。

 私も来年古希を迎えますが、やっておかなければと思うのは近松門左衛門です。近松は歌舞伎も浄瑠璃もたくさん書いているので、資料は膨大なんです。それを読み込んで書いておかなくてはと思っています。二〇二四年に近松の没後三百年を迎えるので、間に合えばいいのですが(笑)。

愚者の階梯
松井 今朝子
2022年9月5日発売
2,090円(税込)
四六判/360ページ
ISBN:978-4-08-771803-4
「勧進帳は不敬である!」
昭和十年、東京。満州国皇帝溥儀が来日し、亀鶴興行は奉迎式典で歌舞伎の名作「勧進帳」を上演。
無事成功するが、台詞が不敬にあたると国粋主義者が糾弾。
脅迫状が殺到した直後、亀鶴興行関係者が舞台装置に首を吊った姿で発見――。
江戸歌舞伎狂言作者の末裔、桜木治郎が大いなる謎に挑む、驚嘆の“劇場×時代ミステリー”!
あの戦争へ、日本が最後の舵を切った時代を彫刻する渾身作。
『壺中の回廊』、渡辺淳一文学賞受賞『芙蓉の干城』に続く、昭和三部作完結!
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