江戸時代に世界水準の宇宙論を
展開したひとびとの群像
江戸時代の日本では天動説が信じられていました。本書は、そんな日本に西欧の知識を輸入し独自に宇宙論を展開したひとびとを紹介しています。
本書の主役のひとり志筑忠雄は、当時オランダと交易が許されていた長崎の通訳(通詞)出身で、西欧の書物を多く翻訳しました。翻訳の過程では現在・過去・未来、衛星など、現在の日本語に残る多くの言葉を造りだしてもいます。その志筑が親しく交わった人物に、本木良永がいます。通詞の名門だった本木家からは、のちに日本で最初に西洋式の活版印刷を実現した本木昌造が登場します。その昌造の三代前にあたる良永は、日本で初めて地動説について書いた人物でした。志筑は良永の影響のもと、独自の宇宙形成論を構想しています。著者によれば、志筑の宇宙観は同時期の西欧のそれに迫り、情報や技術の限界ゆえの粗はあるものの、フランスの天文物理学者・ラプラスの仮説よりも早く構想されており、驚異的なものです。
本書のもうひとりの主役である山片蟠桃は、大坂で大名貸しという金融業を営む「升屋」で番頭を任されていました。志筑の著作によって地動説を知った蟠桃は独自の宇宙論をさらに展開、地球外知的生命体が宇宙の諸惑星に無数に存在している、つまり宇宙人がいる宇宙像をその著作に書き付けていました。
現代なら珍しくない宇宙観ですが、天動説が信じられている社会でほぼ独自にこれらの思想を育むということの困難は、著者の前著『司馬江漢』(集英社新書)でも描かれていました。日々の生活のスケールを大きく凌駕する宇宙論は、極大の自然思想でもあります。しかし冲方丁『天地明察』を引き合いに出すまでもなく、宇宙は生活と密着する暦と時間の基盤に繋がっています。通訳や翻訳、金融、そして美術(司馬江漢)の専門家たちが日本で宇宙論の刷新に乗り出していたということは当然といえば当然ですが、やはり驚くべきことなのではないでしょうか。
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