伊藤忠を辞めNYへ、国際結婚そして離婚

小学4年生のとき、父親の海外転勤に伴い、2年間をロンドンで過ごしたマンハッタンさん。上智大学を卒業後は、海外生活で培った英語力を生かして伊藤忠商事に入社しました。順調なキャリアを歩んでいたかに見えますが、30歳で会社を退職。単身ニューヨークへ渡り、マンハッタンを拠点に新たな人生をスタートさせました。

──なぜ30歳で伊藤忠商事を辞め、アメリカへ渡る決断をされたのでしょうか?

出世欲もなかったし、ロンドンで2年間暮らしたことで、西洋の個人主義的な考え方が身についてしまったせいか、日本の同調圧力や組織文化の中で生きることに、息苦しさを感じていました。ニューヨークには以前から憧れもあった。だから、思い切って飛び出すことにしたんです。

──アメリカではどのように生計を立てていたんですか?

貯金を使って、ニューヨーク大学の映画大学院に入りました。サラリーマン生活と決別して、映像とか美術とか、クリエイティブな方向へ人生を変えたいと思ったんです。3年間、映画制作を学んで、その後はフリーランスとして映画関係の仕事をしていました。

伊藤忠商事を30歳で辞め、単身ニューヨークへ渡り国際結婚をした「マンハッタン」ことRyo Hayashiさん
伊藤忠商事を30歳で辞め、単身ニューヨークへ渡り国際結婚をした「マンハッタン」ことRyo Hayashiさん

──アメリカ人の元奥様との出会いについて教えてください。

38歳のとき、インターネットのマッチングサービスを通じて出会いました。彼女は1度結婚していて、夫を9.11のアメリカ同時多発テロで亡くしていたんです。自然体で自由奔放な彼女に惹かれ、出会った瞬間に「この人と結婚したい」と思いました。お互い自分を大きく見せなくていい関係性が心地よくて、出会って1年で結婚しました。

──『あいの里』では「Opposites attract, Opposites attack(価値観が違う者同士は惹かれ合い、やがてぶつかり合う)」という言葉も紹介されていましたが、15年間の結婚生活にピリオドを打ったのはなぜだったのでしょうか?

彼女はもともと、超社交的で同時に酒に飲まれるタイプだったんです。結婚前はあまり気にならなかったんだけど、子どもが生まれてからはだんだん彼女のライフスタイルに合わせられなくなってきて。

彼女からすると「なんで? 楽しいじゃん! Ryo、前はもっと楽しい人だったよね」って感じで、完全に馬の耳に念仏状態だったんです。

──結婚前に惹かれていた彼女の“自由さ”が、結婚後にすれ違いの理由になってしまった、と。

そうですね。僕は彼女と熱愛の末に結婚して、熱量が高いうちに子どもを作った。それは正しかったと思うんです。ただ、結婚すると、だんだん現実を見るようになる。

アメリカでは「I want my partner to be my best friend(恋愛のパートナーは、親友であってほしい)」という言葉があるんですが、これは難しいけど、真実だと思います。生涯の親友を見つけるのって奇跡に近い。でも、そういう相手と恋に落ちることが、結局は一番長く続くんじゃないかな。

──なるほど。深い言葉ですね。

アメリカでは、「結婚して不幸せな人は山ほどいるけど、離婚して不幸せな人はいない」という言い回しがあるくらい、離婚弁護士もたくさんいて、離婚自体がビジネスになっているんです。それでも、離婚の過程は大変でした。心がボロボロになるし、「たみフルに振られた」なんて、そんなレベルの痛みではないんですよ(笑)。それでも、素晴らしい子ども2人に恵まれて、結婚したことも、離婚したことも、全く後悔はしていませんね。