寒梅氏がヒットのきっかけを作った
やっと日本でも多くの人に認知されてきた頃、アメリカでは1972年6月に発表された4枚目のアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』がブレイクしていた。
そのなかから最初に「ハーティング・イーチ・アザー(Hurting Each Other)」がシングルカットされて、順調に全米2位のヒットになった。カーペンターズにとって、それは6枚目のゴールドディスク獲得だった。
その後もキャロル・キングのカヴァー曲「小さな愛の願い(It's Going to Take Some Time)」が12位になり、さらに「愛にさよならを(Goodbye to Love)」も7位に入った。
このとき、「日本独自のシングル盤を売りたい」と、リチャード・カーペンターにアピールしていたのが寒梅氏だ。
日本の音楽ファンには「トップ・オブ・ザ・ワールド(Top of the World)」のほうが受けると信じて、何度もかけあって了承を得たうえで、11月にシングル盤を発売したのだ。そして日本のチャートでは最高21位だったが、約5ヶ月もチャートインするロングセラーを記録し、見事に結果を出したのである。
そして同時期に、カントリー出身の人気歌手、リン・アンダーソンがカヴァーしたシングル盤「トップ・オブ・ザワールド」も発売、カントリー・チャートで2位になったのである。
それに鋭く反応したのが、アメリカの発売元だったA&Mレコードの音楽出版部門だったという。
日本での成功によって改めていい曲だということに気づき、1970年に「ローズ・ガーデン」の大ヒットを放った人気歌手、リン・アンダーソンにカヴァーさせたところ、リン・アンダーソン版の「トップ・オブ・ザ・ワールド」はカントリー・チャートで2位になったのである。
カーペンターズは日本でのヒット、リン・アンダーソン版のヒットをきっかけに、アレンジに手を加えた新しいヴァージョンをつくって、1973年9月にシングルとしてアメリカでもリリースした。
アルバム発売から1年以上が経過していたにもかかわらず、そのシングルはビルボードのHot100で1位の座についたのだ。兄妹デュオにとっては「遙かなる影」に続いて2曲目のナンバーワン・ヒットになった。
歴史的なヒット曲が誕生してくる裏には、歌や作品に対するこだわりを持った人たちの、実にさまざまな想いと物語が存在している。
文/佐藤剛、TAP the POP
参考
https://www.tapthepop.net/song/69020
寒梅賢氏の発言は、『洋楽マン列伝 1 』(篠崎弘 著/監修、ミュージック・マガジン) からの引用です。
(注釈)
※ 詳しくはこちらの記事をご覧ください
「演奏が始まると観客が帰り始めた」無名だったカーペンターズが初来日で味わった屈辱…武道館で起きた“大番狂わせ”
https://shueisha.online/articles/-/256411














