それでも「台湾有事が遠のいた」わけではない

ただし、「中国軍が混乱している=台湾有事が遠のいた」と単純には言えない。

台湾本島への全面侵攻は、海峡を越えて大軍を送り込む非常に難しい作戦だ。一方、中国が台湾に対して取り得る手段は全面侵攻だけではない。海上封鎖や航空・海上活動による威圧、限定的な軍事攻撃などもある。

上田氏は、中国軍の混乱が別の危険につながる可能性を指摘する。

「混乱が続けば、空軍や海軍は、陸軍の影響力が低下している現在の状況を利用して、自らの権限や発言力をさらに拡大しようとするでしょう。

そのため、台湾周辺や東シナ海、西太平洋における航空・海上活動を、これまで以上に活発化させる可能性があります。

さらに、習近平氏が国内の権力基盤を強化するため、台湾をめぐる軍事的緊張を利用する可能性もあります」

2026年5月14日、北京の人民大会堂で行われた歓迎式典に臨む習近平国家主席とトランプ米大統領(写真/White House/Public Domain)
2026年5月14日、北京の人民大会堂で行われた歓迎式典に臨む習近平国家主席とトランプ米大統領(写真/White House/Public Domain)

そして、もうひとつ重要なのが、中国共産党と人民解放軍の関係だ。中国には古くから「党が鉄砲を指揮する」という原則があり、人民解放軍は中国共産党の指導下に置かれている。

「たとえ軍の上層部に反習近平の感情が広がっていたとしても、それだけで軍が動かなくなるわけではありません。

中国には『党が鉄砲を指揮する』という原則があります。台湾統一を党の歴史的使命として掲げてきた以上、軍が党の命令を拒めば、自らの存在理由と党への忠誠を否定することになります。

したがって、軍上層部に不満があったとしても、命令が下れば軍は動くと考えるべきです」

では、現在の中国軍で最も警戒すべき点はなんなのか。上田氏が問題視するのは、単に将軍の数が減ったことではない。

「問題は、張又侠氏や劉振立氏のように、作戦の難しさや損害を軍事的合理性から判断し、政治指導部の無謀な命令を抑制し得る軍人がいなくなったことです。

一方で、上のポストが大量に空いている現在、功名心の強い軍人にとっては、一気に昇進する機会でもあります。

軍事を十分に理解しない文民指導者と、昇進の機会を狙う功名心の強い軍人が直接結びつく。そして、その間で軍事的合理性を検討し、政治的な命令を抑制する人間が失われていく。

その状態のほうが、専門的な軍指導部が存在していたときよりも、誤算や無謀な作戦を引き起こす危険性が高いのです」

中国人民解放軍の兵士たち。相次ぐ軍上層部の粛清は、中国軍の弱体化だけでなく、誤算や無謀な作戦につながる危険性もある(写真/U.S. Marine Corps/Public Domain)
中国人民解放軍の兵士たち。相次ぐ軍上層部の粛清は、中国軍の弱体化だけでなく、誤算や無謀な作戦につながる危険性もある(写真/U.S. Marine Corps/Public Domain)
すべての画像を見る

中国軍の最高幹部が次々と消えていることは、一見すれば人民解放軍の弱体化にも見える。

しかし、政治指導部に軍事的なブレーキをかけられる人物まで消えているとすれば、その混乱を日本にとって単純な「朗報」と考えるのは早計だろう。

取材・文/小峯隆生