監視と思想統制で兄が躁鬱病に

ヤン 作者の自分語りがトレンドになった時期もあると思います。

例えば30年前にもセルフドキュメンタリー映画のブームがあって、家族をどう描くか悩んでいた私は見まくっていました。作品を見た後で、世界、もしくは視野が広がるならいいんだけど、狭いところに押し込まれるような窮屈な作品が多く、辛かったですね。

最近ではテレビのディレクターがドキュメンタリー番組の制作動機について事細かにナレーションで説明していて退屈なときがあります。

それとは違って、もし石丸さんが自分語りをすれば面白いと思うんです。だけどそこを削る潔さが良くて。重い話を淡々と進めるところも読みやすさの要因ではないかと思います。全身全霊で向き合うために捨て身で取り組む石丸さんの姿勢を私は尊敬しています。

だって普通、取材のために借りている部屋を、いくら自分が日本にいる間だからって他人に提供しますか?一体どういう人かわからないじゃないですか。

普通の人だったら、途中でやめていると思います。だって、ひとりの脱北者と向き合うだけでも大変なことです。壮絶な人生を歩み、命懸けで脱出し、中国ではある種の潜伏生活を強いられている人を支えるなんて並大抵な覚悟がないと挫折しますよ。けれど石丸さんは途中で投げ出さなかった。

私も、北朝鮮にいる兄のことを想いながら話すと、興奮するし感情的になります。そんな私の話を真摯に聞いてくれる人も疲れるはずです。語る側も、受け止める側も消耗しますから。

私は朝鮮大学校まで通いましたが、大学の4年間は、高校までとは比にならないくらいの思想教育と監視体制、自己総括批判、相互批判監視があって、慣れてはいくけれども、やはり日本社会のシステムの中で過ごすその4年間は異様なものです。4年という期限付きでも苦しかった。

兄たちはこれよりもひどい監視体制や思想統制がずっと続くわけです。日本での生活体験がある兄たちは、どうやって狂わずに生きているんだろうと思いました。

(写真/shutter stock)
(写真/shutter stock)

そんな時に長兄が躁鬱病(双極性障害)になったことを知り、精神を病まない方がおかしいわ、と思いました。

自由がある日本でも鬱になったりするのに、自由がない中でどうやって折り合いをつけているんだろうと考え始めると、やけ酒が止まらなかった。作品を作りながらも泣いていました。

息子たちを北朝鮮に送ってしまった両親の心中にある後悔を思うと胸が痛みましたが、同時に父は帰国事業を推し進め旗を振っていたという事実もある。父の説得で帰国した叔父に私が謝罪したこともありますが、多くの親戚にも仕送りする両親の姿を見ながら複雑でした。

仕送りは贖罪なのかと思ったり、対外的に北朝鮮を賛美する両親を見ては「自分の身内だけよければいいのか」と心の中で糾弾したりしました。

帰国事業を推し進めた組織として、北朝鮮に渡った膨大な数の同胞のその後についての把握や調査は、本来は、宣伝、説得、強制までした朝鮮総連がしなければならない仕事ですよ。朝鮮総連からのバッシングを受けながらも、この本を作ってくださったメンバーの皆さんには本当に感謝しています。