「日本社会にも責任がある」

石丸 北朝鮮での暮らしぶりについて知れば知る程、やはり日本国家と社会が背中を押した責任を感じざるを得ません。

一義的な責任はもちろん北朝鮮政府と総連にあるわけですが、日本社会は、在日とその日本人家族がなぜ9万3000人も帰ることになったのか、どのようにその背中を押したのかについて、きちんと落とし前をつけなくてはいけない。

僕は1962年生まれですから、帰国事業が始まった時代については、実体験としては何ひとつ知りませんが、資料を調べると、やはり在日に対する差別と貧困と排除がなければ、帰国事業はあそこまで大規模にならなかったはずです。

1940~50年代の日本社会は、朝鮮人に対して関心や同情を向ける人は非常に少なかった。在日の境遇や生き辛さについて主張し権利のために動いていたのは、朝鮮人連盟であり朝鮮総連だった。

だから支持を得たわけですよね。それを信じての帰国だったのですが、その結果は、本書で記した通りです。自分で自分の人生を決めらない大きな不条理が続いてしまいました。

〈「地上の楽園」の現実〉北朝鮮へ渡った9万3000人の在日朝鮮人…脱北者50人が語った「幸せな瞬間は一時もなかった」_10

――国家こそが自国民を迫害している事例というのは、実はたくさんあります。ヤン監督が本書に登場した人物の中で印象に残った人はいますか。

ヤン 作家のキム・チュソンさんは、ソウルに私の映画『スープとイデオロギー』を観にきてくださいました。私はロビーにいたのですが、号泣しながら劇場から出て来られました。私の次兄と仲が良かったそうです。

私の母が送る仕送りの中身に驚いて感心していたそうです。高額な仕送りではないけれど、継続的に必需品が送られてくるから、私の家族は商売か何かをしていて、お金があるのだと思っていたそうです。

映画を通して、実際は借金をしながら仕送りをしていたと知り、「申し訳ない」と泣いていました。「あなたのお兄さんたちにまた会いたい」と言いながら。『ディア・ピョンヤン』公開後、私は平壌への入国が禁じられて家族に会えなくなってしまって言葉を押し殺すようになったんです。

だから「会いたい」と言える人が羨ましいと思いました。その想いが溢れて、2人して大泣きしたのを覚えています。

石丸 彼は76年に帰国しましたね。お爺さんと一緒に。

ヤン うちの兄より帰国が遅いなんてびっくりです。北朝鮮に行って、彼は作家になりたくて作家同盟に入ったりもされたそうです。そのことについて書かれた著書も面白くて私は書評も書かせていただきました。

私の兄たちは71年に帰国した後、総連の幹部子弟だけの寄宿舎にいたそうですが、そこにも遊びに行かれたそうです。