監督として結果を出せない焦り
蔦と酒について、1986年春まで池田野球部の部長であった白川進が自著『俺たちの蔦野球』で言及している。
《ドロドロに酔い、次から次へと梯子をし、果ては路上に寝込んでしまうのが常である。しかも、その間、誰彼なく見つけた人を嘲弄し、わけのわからぬ愚痴を並べて自分一人いい気分になり、相手の心を逆撫でして怒らせることに一種の快感を感じるという質の悪い酒なのである》
《もちろん、飲酒による解放感や陶酔感はあるのだけれども、彼の場合には、それ以前に、酒を飲むことによって闘争心をあおり、人生に弾みをつけようとする意図が無意識裡に働いているような気がしてならない》
徳島商時代、社会人野球「全徳島」時代の監督だった稲原幸雄も語っている。
《彼の本質には非常にデリカシーがあるんです。(中略)元来そう酒好きじゃないんですよ。そんなに酒飲みじゃないんです。ところが野球で苦労している時に、人には言えん心の憂さの捨てどころ、と言う時に酒を飲むわけです。そんなにあれは酒好きじゃないんですよ。本当は》(『たかが野球されど野球』稲原幸雄・福島幸雄・篠宮幸男)
馴染みのおでん屋で蔦と居合わせることがあったという元徳島新聞論説委員の岸積も、蔦の酒への付き合い方を見ていた。
《蔦は本質的な酒好きではない。鬱屈を紛らすための酒だ。酔えばグチばかり。慰めているうちに絡み酒となった》(『航標』2009年3月号)
三人が指摘するように、蔦は酒の味そのものを好んだわけではなさそうだ。にもかかわらず、酔い潰れるまで飲み続ける。その姿は自傷的にすら見える。
内田が話していたように、監督として結果を出せない焦りが蔦を酒に走らせたという見方もあるだろう。だが、もっと深いところに、その要因はあったのではないか。













