ミュージカル・シンフォニア『fff -フォルティッシッシモ-〜歓喜に歌え!〜』とロマン・トラジック『桜嵐記(おうらんき)』
2021年、上田は二組のトップコンビの退団公演を手掛けた。
ひとつは、雪組の望海風斗、真彩希帆の退団公演『fff −フォルティッシッシモ− 〜歓喜に歌え!〜』。フランス革命後の混沌とした欧州を舞台に展開される作曲家ベートーヴェンの物語である。同時代を生きた軍人ナポレオン、劇作家ゲーテの思想が交錯していく演出も見所のひとつ。
舞台は、モーツァルト、ヘンデル、テレマンが天国の扉の前で足止めされている場面から始まる。智天使ケルブは、音楽は神のためのものであったのに、彼らが貴族の楽しみのために作曲したことを咎め、地上にいる後継者ベートーヴェン(望海)が音楽をどのように扱うかで、彼らの天国行きを決定すると告げる。
ベートーヴェンは失聴をはじめ、様々な不遇に見舞われる。絶望する彼の前に、謎の女(真彩)が現れるのだが、彼にしか見えないその女の正体こそ、人類の不幸を背負う〝運命〟だった。彼女の存在を受け入れ、愛したことで、ベートーヴェンは自分がつくるべき音楽に気づく。「人と国は傷つけあい憎しみあう。それでもこれを歌わなければならない」と言い、運命と共に人類愛を歌ったシンフォニー『歓喜の歌』(第九)を紡ぎ、出演者全員で大合唱となる。舞台から発せられる歓喜と祈りに満ちたエネルギーに、客席は感動の渦に包まれた。
もうひとつは、月組の珠城りょう、美園さくらの退団公演『桜嵐記(おうらんき)』。本作は上田が宝塚で手掛けた最後の舞台となった。鎌倉幕府滅亡後に朝廷が二つに割れ、武家の北朝と、公家の南朝が争った南北朝時代を背景に、武将・楠木正行(珠城)の生き様と、公家の娘・弁内侍(美園)との束の間の恋が、舞い散る吉野の桜の情景に乗せて、儚くも力強く描かれている作品だ。
公家側についた数少ない武士であった正行。北朝の圧倒的な兵の数からして、南朝が滅びゆく運命にあることは明白であった。では、なぜ最後まで南朝を見捨てず、戦い続けたのか。劇中、正行はその理由について「己だけの流れは何十年、せやけど日の本のもっと長い流れがある。(中略)日の本が平らかになるまで、其、南朝を見捨てるわけにはまいらん」と言い放つ。国に平安をもたらすために戦い、散っていく姿に、観客は涙をこらえきれないほどに心揺さぶられる。
作品の時代や国は異なるが、この二つの退団公演の根底には通ずるものがある。前者は「音楽は誰のものなのか?」、後者は「何のために戦うのか?」という問いが提起されており、上田が描いた主人公たちは、民衆のため、そして国の未来のために、その身を捧げているのである。
上田は退団後、読売新聞のインタビューで「世界に資する作品をつくりたい」と今後のビジョンを語っている。宝塚の様式美を踏襲しつつも、社会や物事の本質に意識を張り巡らせたくなるような舞台をつくり上げてきた上田が、これからどんな作品を私たちに見せてくれるのだろうか。新しい扉が開く瞬間を心待ちにしたいと思う。
文・画像提供/石坂安希 編集/嵯峨景子