『デビルマン』のラストスパート、
『マジンガーZ』の移籍
アニメ『デビルマン』は、放映開始から9か月後の1973年3月31日が最終回だった。
アニメが終わると知った「週刊少年マガジン」編集部は、連載も3月で終えてくれと通告してきた。その通告は2月にあり、あと2か月もない。マンガ版とアニメ版とはまったく別のストーリーとなっていて、マンガ版は人間と悪魔との最終決戦という壮大なスケールに発展していた。永井豪としてはあと1年くらいかけて、じっくりと描くつもりだった。
その1年分の構想を、2か月分の枚数に圧縮するのはとても無理なので、どうにかさらに2か月、5月までの延長を頼み、受け入れられた。
『デビルマン』のラストスパートに集中するため、「少年サンデー」の『まろ』と、人気絶頂の「週刊少年チャンピオン」での『あばしり一家』の連載を3月で終えた。これで『マジンガーZ』との2本だけになった。「少年サンデー」と「少年チャンピオン」には、『デビルマン』が終わったあと、73年9月から、『ドロロンえん魔くん』と『キューティーハニー』を連載する。
一方、『マジンガーZ』は絶好調だった。アニメは視聴率も高く、延長される。しかし、その人気が仇となった。『マジンガーZ』を連載している「少年ジャンプ」は、小学3年生から中学生が読者層の中心で、この年齢だと玩具はそれほど買ってくれない。
そこで、玩具の主要顧客である幼稚園児から小学校低学年を対象とする雑誌への連載も求められた。小学館ならば「幼稚園」や「よいこ」、「小学1年生」があるが、集英社には該当する雑誌がない。一方、『仮面ライダー』シリーズの幼年向けコミカライズのために創刊された、講談社の「テレビマガジン」は、ライダー・シリーズの人気に勢いがなくなり、部数が減っていた。そこで永井豪に、『マジンガーZ』を連載できないかと打診してきた。まさに、両者の思惑は一致した。
ところが、それを知った「少年ジャンプ」編集長・長野規が、『マジンガーZ』の連載を打ち切ると通告した。長野にとって、ライバル会社である講談社の雑誌と掛け持ちで、同じタイトルのマンガを連載することは容認できなかった。これで大ヒット作『ハレンチ学園』以来の「ジャンプ」と永井豪の関係が切れた。「ジャンプ」での『マジンガーZ』の最終回は8月13日号で、9月発売の「テレビマガジン」10月号から、新たに連載が始まった。
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文/中川右介
写真/shutterstock