戦後に起こった“猿之助一家心中事件”以上の悲劇
警視庁の捜査が進むも、いまだ真相解明とはほど遠い市川猿之助一家の心中事件。
しかし、歌舞伎界は過去にも世間を震撼させる事件に多く見舞われてきた。
なかでも1946年に起こった“十二代目片岡仁左衛門一家殺人事件”は、その凄惨さでは群を抜いている。
江戸時代から続く名跡・仁左衛門だが、十二代目も若いころは美形で鳴らした人気の役者だった。そんな仁左衛門の家に住み込みで働いていた22歳の男(脚本を書く“座付き作家”見習い)が、63歳の仁左衛門とその妻、2歳の息子、そして住み込みで働いていた69歳の女性と12歳の自身の妹を薪割りオノで殺害、現金を盗んで逃亡するという事件が起こったのだ。
その後、逮捕された男は「食べ物を与えられなかった恨み」と犯行の動機を供述。名門歌舞伎一家の“内情”も含め、この惨殺事件は連日のように新聞などで報じられ、大きな関心を集めた。
付き人の男性と駆け落ちした人気女形
歌舞伎役者たちは色恋スキャンダルでも世間をさんざん騒がせてきた。
1938年には六代目中村歌右衛門(当時は中村福助22歳)が付き人の男性と北海道に駆け落ちする騒動が起こっている。
歌右衛門は当時若手歌舞伎俳優のホープといわれた人気女形でもあったため、この“愛の逃避行”は新聞のトップを飾るなどセンセーショナルに報じられた。
関係者によって発見されて連れ戻された歌右衛門は、その後、“女形の最高峰”と呼ばれるようになり、役者道を全う。2001年に84歳で亡くなっている。
月刊誌「特集人物往来」(昭和31年3月号)では、この駆け落ち騒動が歌右衛門に及ぼした影響をこう記していて興味深い。
「女形の世界では、これが、それほど不思議なことではない。大部屋の女形には、男との色恋沙汰など、しょっちゅうある」
「男に惚れることがおそらく歌右衛門の場合その芸を伸ばすための肥料ではないかと思う。そう考えれば、駆け落ち事件もやはり芸の上でプラスとなったのかも知れない。彼の舞台は事件以降、非常に進歩した」
たしかに梨園では「色事は芸事に通じる」「女(男)遊びは芸の肥やし」などと言われてきた。しかし、時代は昭和から平成、そして令和と移り変わるなか、梨園の常識は次第に世間に通用しなくなっていく。