『い・け・な・いルージュマジック』はいかにして生まれたか

かねてより清志郎さんは坂本さんとの共演を望んでおり、『い・け・な・いルージュマジック』は3年越しの願いが叶った合作だった。

その忌野清志郎さんが2009年5月2日にがん性リンパ管症のため、58歳でこの世を去ってから、早14年が経とうとしている。

RCサクセションを筆頭に、忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドを牽引し、独自のロックサウンドを展開。その圧倒的な存在感と、RCサクセションのライブアルバム「THE KING OF LIVE」(1983年)にちなみ、“ザ・キング・オブ・ロック”の異名を取った。

高いサウンド力もさることながら、その作り出す歌詞のメッセージ性において、ファンやリスナーのみならず、世間まで巻き込んだことも一度や二度ではない。
中でも、1988年、RCサクセションの洋楽カバーアルバム『COVERS』の発売中止騒動から、清志郎とよく似たZERRYという人物がザ・タイマーズを結成して、さまざまな人物のライブに飛び入り参加したという逸話は今なお伝説のごとく残っている。

〈追悼 坂本龍一氏〉「キヨシなんか最高さ! キミの声はすごくセクシーだよ」忌野清志郎との伝説の対談をプレイバック_2
間違いなく日本が世界に誇れる2人。奇跡のコラボレートには感謝の気持ちしかない。数えきれない名ナンバーたちをありがとう。
「週刊明星」1982年 3月11日号より。撮影/今津勝幸