歌舞伎俳優・市川猿之助(47)が両親とともに自宅で倒れ、救急搬送された“事件”で、猿之助は一命をとりとめたものの、父親で歌舞伎俳優の市川段四郎さん(享年76)、母親の喜熨斗延子さん(享年75)は死亡。猿之助は前日に「家族で一緒に死のうと話し合った」と供述しており、一家心中を図ったとみられている。
緊急搬送から4日が経過した現在でも、歌舞伎界でもトップを誇る人気役者がかかわった“事件”に世間は震撼。「梨園、松竹ともに、現在も混乱が続いている」(歌舞伎関係者)。
〈独自・猿之助音声データ入手〉「亀治郎の名のほうがいい」猿之助が襲名前に語っていた名跡の行方と父・伯父との関係。「後継を決めるのは僕の意志、彼(團子)がだめだったら別の人に継がせます」
「集英社オンライン」では、2012年3月に襲名を前に開かれたファンとの食事会での猿之助(当時・亀治郎)の「スピーチ音源」を入手した。満員御礼だった会場の老舗料亭でファンを前に、当時の亀治郎(猿之助)は普段は話さない父・段四郎や伯父・猿翁との関係、自身の襲名や後継者について饒舌に語っていた。
貴重なスピーチ音源を独占入手。
当時の亀治郎(猿之助)が語ったこと

混乱が続く明治座
そんななか、集英社オンラインでは猿之助が四代目を襲名する約3ヶ月前の2012年3月上旬、まだ「亀治郎」の頃に、後援者を招いて開いた食事会でのスピーチ音源を入手した。
三代目猿之助(83)が二代目猿翁に、本人は亀治郎から四代目猿之助に、従兄弟で俳優の香川照之(56)はなんと46歳で梨園入りし9代目市川中車に、そして香川の息子である政明くん(19)は五代目市川團子を襲名するという歌舞伎界の一大イベントを目前に控えた2012年3月上旬。都内の老舗料亭で、「市川亀治郎」の後援者を集めた食事会が開催された。
会場は創業170年以上をほこる京料理の名店。会費は3万円と高額にも関わらず、店内は満員となる大賑わいだった。
会場を埋め尽くしたファンたちを目の前に満足気な猿之助は、今回の襲名のこと、そして父親である段四郎について、伯父である猿翁(当時は三代目猿之助)、さらには自身の「後継者」についてまで饒舌に語りだしたのだ。

2012年、猿之助襲名時の記者会見(写真/共同通信)
司会者に「伯父さんの三代目猿之助に似ている」と水を向けられると、「全部が僕に似ているって」と前置きをしてから、自身の父である段四郎について、こう話し出した。
「ウチの父親(段四郎)はお父様(祖父・三代目段四郎)に似ていて、伯父さんはひいおじいさん(初代猿翁)に似ているっていわれますね。
(父親は)家に帰ったら芝居の話はしないという……スポーツの話とかね、野球の話とかね。
年がら年中芝居の話をするというわけではないんでね。どちらかというと普通の家庭を大事にする人」
当時、この食事会に参加していた60代の女性が話す。
「亀ちゃんは、あまり家族について話すことはなかったから、珍しいこともあるものだ、と思いました。段四郎さんは兄である猿翁さんの影でサポート役をしていたというイメージが強いかもしれませんが、73年には『ご存知遠山の金さん』(NET テレビ・現テレビ朝日系)で主役の遠山金四郎を務めたりとテレビでも活躍していた。その段四郎さんが『芝居よりも、家庭を大事にする』という、“家庭人としての素顔”について話していたことは印象的でした」
「メルシー・ボーク―」と挨拶した亀治郎
さらに猿之助は自身の襲名について胸中を明かした。
「『猿之助を継げ』といわれたのは急なことだった。(継げとは)言われたくなかった。(本当は亀治郎の名前を変えたくなかった?の質問に)面倒くさいですからね。僕は亀治郎の名前のほうがいい。テレビにも出ましたし。知名度でいくと今の若い人には『亀治郎』の名前のほうが知られているのではないでしょうか。(三代目)猿之助さんが倒れて、若い世代では猿之助さんの舞台を観たことないっていいますし、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』も観たことがないという人が多いですから」
そして、満員の会場への「リップサービス」なのか、伯父の猿翁襲名についてはこう話していたのだ。
「最初、猿翁になるのは嫌だ嫌だってね。僕は“翁”を天皇の“皇”にするとかね、『市川パンダになる』とかね。パンダみたいに客をよんだからって(笑)」
前出・出席者がこう続ける。
「さらに出席者を驚かせたのが、亀治郎さんが“猿之助”の跡継ぎ問題に触れたことです。香川さんは、ご両親が離婚したために自分が継げなかったと考える『猿之助』の名前を、当時8歳だった息子の政明くんに継がせたくて自身も梨園入りしたという経緯があります」

明治座に掲示されたポスター内の團子
その團子について「香川さんの息子に“猿之助”を譲るのか?」という質問が出ると
「そりゃ決まってませんね。ボンクラだったらだめだし、その幼名(團子)を継いだら猿之助になるわけではないですし。後継を決めるのは僕の意志。彼がだめだったら別の人に継がせますし、4代目で抹殺するとしたら、止め名にしちゃう」
歌舞伎界での止め名とは「二度と使われないことになっている名跡」のことをさす。つまりは、「猿之助の名跡を生かすも殺すも自分の思うがまま」ということだ。
團子は、20日に再開された明治座の舞台『不死鳥よ波濤を越えて』で突然の白羽の矢でありながらも、見事、猿之助の代役を果たし「死んではならぬ!」というセリフを朗々と会場に響かせ、観客を大号泣させた。

明治座
食事会は、中学、高校とフランス語を学んでいたという猿之助の「メルシー・ボークー」という挨拶で締められたという。
現在、猿之助は病院を退院し、都内某所で療養をしているという。
どんな形であろうと、澤瀉屋の「天翔ける心」をもっての「復帰」はあるのだろうか。
※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。
メールアドレス:
shueisha.online.news@gmail.com
Twitter
@shuon_news
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
関連記事
新着記事
両津勘吉、驚異の肉体


「現役JKが、あらゆるグラビアの中で最強だと思っています」現役女子高校生グラドル、鈴原すずの野望

