「メルシー・ボーク―」と挨拶した亀治郎
さらに猿之助は自身の襲名について胸中を明かした。
「『猿之助を継げ』といわれたのは急なことだった。(継げとは)言われたくなかった。(本当は亀治郎の名前を変えたくなかった?の質問に)面倒くさいですからね。僕は亀治郎の名前のほうがいい。テレビにも出ましたし。知名度でいくと今の若い人には『亀治郎』の名前のほうが知られているのではないでしょうか。(三代目)猿之助さんが倒れて、若い世代では猿之助さんの舞台を観たことないっていいますし、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』も観たことがないという人が多いですから」
そして、満員の会場への「リップサービス」なのか、伯父の猿翁襲名についてはこう話していたのだ。
「最初、猿翁になるのは嫌だ嫌だってね。僕は“翁”を天皇の“皇”にするとかね、『市川パンダになる』とかね。パンダみたいに客をよんだからって(笑)」
前出・出席者がこう続ける。
「さらに出席者を驚かせたのが、亀治郎さんが“猿之助”の跡継ぎ問題に触れたことです。香川さんは、ご両親が離婚したために自分が継げなかったと考える『猿之助』の名前を、当時8歳だった息子の政明くんに継がせたくて自身も梨園入りしたという経緯があります」
その團子について「香川さんの息子に“猿之助”を譲るのか?」という質問が出ると
「そりゃ決まってませんね。ボンクラだったらだめだし、その幼名(團子)を継いだら猿之助になるわけではないですし。後継を決めるのは僕の意志。彼がだめだったら別の人に継がせますし、4代目で抹殺するとしたら、止め名にしちゃう」
歌舞伎界での止め名とは「二度と使われないことになっている名跡」のことをさす。つまりは、「猿之助の名跡を生かすも殺すも自分の思うがまま」ということだ。
團子は、20日に再開された明治座の舞台『不死鳥よ波濤を越えて』で突然の白羽の矢でありながらも、見事、猿之助の代役を果たし「死んではならぬ!」というセリフを朗々と会場に響かせ、観客を大号泣させた。
食事会は、中学、高校とフランス語を学んでいたという猿之助の「メルシー・ボークー」という挨拶で締められたという。
現在、猿之助は病院を退院し、都内某所で療養をしているという。
どんな形であろうと、澤瀉屋の「天翔ける心」をもっての「復帰」はあるのだろうか。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班