絶望シーン1:簡単なものでいいよと言われた

はい、出ました。「簡単なものでいいよ」発言です。これは料理教室の生徒さんたちから聞く「イラっとくる発言」ぶっちぎりのナンバーワンです。

ごはん作りとは、ほとんどが一人孤独な作業です。ですから、料理教室という「同士の集い」は、普段のモヤモヤを共感しあう絶好のチャンスでもあるのです。
誰かがふと口にした「簡単なものでいいと言われると頭にきちゃう」という発言が、ほかの人たちのモヤモヤスイッチを押すことになります。

そもそも、何が簡単か、何が面倒かという感覚は、本当に千差万別・十人十色です。ある人にとっての、当たり前や簡単は、別の人にとっては絶望ですらあります。
そして皆さんの「簡単なもの」談義は延々と続きます。私はお皿を洗いながら聞くともなく聞き、ときに頷き、ときに吹き出すこともあります。
「カレーは絶対に簡単な料理ではない」というのは、もはや世間の共通認識になりつつありますが、真夏にゆでる素麺だって面倒くさいし、そもそもごはんが炊いてある前提がおかしい……など、どんどんヒートアップしていきます。
そのたびに、笑い声があふれ「ホント、やってらんないわよね」とこぼす表情がだんだんと生き生きしてくるから不思議です。一人で抱えるイライラが、誰かと共有することでゲラゲラに変わる魔法の瞬間です。

ちなみに、かねてより私の「簡単」なレベルは「白飯に塩をかけたもの」です。
また、別の観点で、「簡単なものとは軽めの食事」をさすこともあります。
これもよくあるケースで、あまりお腹がすいていないのならと、漬物や余りものの煮物を出したら、「もう少しお腹に溜まるものない?」と言われたときの絶望ったらありません。そう言ってくれたら、最初からレトルトカレーを温めたのに!

このように、家族といえどもお互いの「簡単」の定義の行き違いに、「所詮は他人」という現実を突きつけられます。

簡単なものなんて何一つもない

結局、「簡単なものでいいけど、お腹はしっかりすいている」なのか、「お腹はすいていないから、サクッと簡単に食べたい」なのか、ハッキリ言葉で言ってくれ! ということです。
この2つは似て非なるものです。
「そんなこと言わなくてもわかるだろ」なんて思うなら、それこそ「恋するカップルじゃあるまいし」ってツッコみたくなります。

文句を言ってばかりですが、生きていくうえで避けて通れない「食べる」ということで、
他人が何を食べたいか、どれくらい食べたいかをピタリと想像することはどう考えても無理なことです。
しかし、私たちはモヤモヤしながらも「食べさせる」というミッションを休むことなく担っています。だからこそ、わかるように伝えてほしいのです。
そして結局行きつく先は、「簡単なものなど何もない」です。
すべての食べ物は、買ってきたからこそ、そこにある。
洗ったり切ったり、皿に盛っているからこそ、目の前にある。
毎日のごはんは、瞬間瞬間の数えきれない小さな仕事の集大成です。
そう思うと本当に皆さんよくやっています。私はいつも心から感動し尊敬しています。