残暑の熱気が衰えぬ9月某日、私たちは反り立つような峻険な崖に囲まれた深い渓谷を見下ろしていた。轟々と流れる瀑流の音が会話もできないほどに耳孔をつんざく、まさに天険の地……。今からあの谷底で苛酷な調査行をおこなうのだ。
これまでに南アジアのジャングルに分け入って遺跡を見つけ出したり、南米で幻の猿を探したりしたこともあるメンバーが揃っていて、ある程度の秘境経験はあるが、今回はそういった類の未踏の地に赴いたときとは違った種類の不安感がある。
私たちがここに来たのは、沢登りをしながらこの川をザブザブと遡り、ある場所を目指すためだ。その場所の名は〈おいらん淵〉——山梨県甲州市にある、関東最恐とも謳われる心霊スポットである。
関東最恐の心霊スポット「おいらん淵」を徹底調査! 武田信玄の金山跡で探検隊を襲った恐怖体験とは⁉
いい歳した大人たちが、アウトドア技術を駆使して、容易には行けない秘境にある心霊スポットを調査する「ホラー探検隊」。今回は、山梨県甲州市にある関東最恐と謳われる心霊スポット「おいらん淵」の誰も足を踏み入れたことのない最深部に、沢登りで谷底から挑む。探検隊を襲った本物の心霊現象に震えが……
関東最恐の心霊スポット「おいらん淵」

「おいらん淵」があったとされる場所から近い、藤尾橋付近から見た柳沢川。前日の雨のせいか、ゴウゴウと大きな音を立てている。これから足を踏み入れる私たちを拒むかのように……

一般道から見える、おいらん淵があったとされる場所から近くにある藤尾橋。今はもう渡ることができない
おいらん淵が心霊スポットとなったのには、下記の伝説がもとになっている。
――戦国時代、鶏冠山には武将・武田信玄が所有する黒川金山が存在していた。一帯には鉱山町がつくられ、鉱夫たちの慰安のために遊廓もあり、その隆盛ぶりは黒川千軒と称された。
しかし、織田信長・徳川家康連合軍の甲州征伐によって武田勝頼が没し、同時に武田家が滅亡したことにより金山は閉鎖。当時の金山奉行は、金山の秘密が漏れることを恐れて、遊廓にいた55人の遊女と金山労働に従事した配下の武士を皆殺しにすることを決めた。
柳沢川の上に藤蔓で吊った宴台を用意し、その上で酒宴だとして遊女らを舞わせ、舞っている間に蔓を切って宴台もろとも淵に沈めて殺害した――
女たちは絶望と深い恨みを抱えたまま暗い谷底へ落ちていき、大半は息絶えた。運よく岩場への衝突を免れ下流へ流されていった者もいたが、すでに村々には、助けた家は刑に処す旨のお触れが回っており、酷く衰弱したまま息絶えたという逸話も伝わっている。
この下流部の丹波山村には、慰霊のために「おいらん堂」が建てられている。

隣の丹波山村にある、おいらん淵のほこら。遊女たちががここまで流れ着いたという伝説が残る。ほこらには遊女の服を模した縫い物や千羽鶴が今も供えられている
山道に現れる白い女の霊
この悲劇から時を置かずして、付近では、夜ごと女の悲痛な叫びや恨み言が聞こえる、などの逸話・民話が多数語り継がれてきた。そして現代でも、こうした心霊譚は枚挙に暇がない。たとえば――
トラックドライバーのAさんは、深夜に塩山から奥多摩方面へ車を走らせていた。甲府で積みこんだ荷物を明日の昼までに都内へ届けなければならないが、連休最終日と重なって中央自動車道がとんでもなく渋滞しており、やむなく迂回路として山道――国道411号を走ることにしたのだ。
柳沢川の渓谷に沿って曲がりくねった山道をひた走らせていると、前方の道路脇に白いものが立っているのが見えた。
ひとだ。右側の道路脇に、白い着物を着て、長い髪の毛をだらんと垂らした女が、力なく立っている。
Aさんは突然のことに思考がうまく働かないまま、そのまま女の横を通り過ぎた。バックミラーをちらりと見やるも、女は依然としてそこに佇んでいた。時刻は深夜二時を回っている。こんな時間に、車でしか来れない山奥に徒歩でいるはずがない。
Aさんはその不自然さ、異様さを訝しんでもう一度バックミラーを見るも、女の姿はカーブの向こう側に消えていた。もしかしたらいま見たのは幽霊だったのかもしれない。こんな山奥でひとりきりなのに幽霊に襲われたらたまらない。
厭な汗をかきながら走らせること、さらに数分後――
白い着物を纏った女が、前方にまた見えた。長い髪をだらしなく垂らしながら、先ほどと寸分違わぬ姿で立っている。
Aさんは「ひっ」と短い悲鳴を噛みしめて、なるべく右側を見ないようにしながら女の横を通り過ぎた。しかし、数分後。
また女の姿が前方に――。
その後も女は何度も現れて、夜が明ける頃にはAさんはすっかり憔悴していたそうだ。
これはほんの一例である。ほかにも、「付近でキャンプやドライブの休憩中に、女の歌声が響き渡る」「おいらん淵脇のトンネルを車で通る際、急に人影を目撃してハンドル操作を誤って事故を起こしかける。だが、先ほどの人影はいなくなっており、付近には隠れる空間もない」「崖の下から女が見上げており、這い上がってこようとするのを見た」など、おいらん淵で人ならざる何かに触れた話は数多く、まさに関東最恐の心霊スポットなのだ。
聞こえるはずのない鈴の音

柳沢川の近くの廃道を歩き、「真のおいらん淵」の場所を調べる隊員
おいらん淵は、多摩川の源流のひとつ・丹波川をさかのぼり、一ノ瀬川と柳沢川に分かれる箇所にあるとされている。「おいらん淵の碑」なる慰霊碑も過去にはその場所にあった(今は撤去済)。
しかし、実はこの場所は本来の地とは異なるらしい。資料によれば、女たちが武田氏によって殺された場所は、柳沢川をさらに3kmほどさかのぼった藤尾橋近辺だという。こちらのほうは探索例が少ないので、行ってみる価値はありそうだ。

文献によると、遊女たちは川に架けられた舞台から落とされたという。私たちはそんな舞台を設置できるような、切り立った地形を探しながら進んだ
そこで、私たちは女たちの遺体が流れていった丹波川を遡行して合流点を通過し、さらに柳沢川を遡行して藤尾橋に行ってみた。また、夜は藤尾橋近辺で野営し、ついでに慰霊をしようと考えた。
適当に見つけたキャンプ地で夕飯と晩酌をしているうちに、午前二時に。ヘッドランプの灯りを頼りに藤尾橋へと戻り、線香の束と下流で摘んだ花束を橋の袂に手向ける。周囲はまさに漆黒の闇。橋の下からは轟々と水音が聞こえてきている。私たちは線香の煙を前に、しばし黙祷をして非業の死を遂げた女たちを悼んだ。
一通りの慰霊が終わり、キャンプ地へ戻り始めたそのとき、不可解な出来事が起きた。
一列になって歩いていたが、私は焚き木を拾い集めながらだったので最後尾におり、前をいく隊員たちと5mくらい離れていた。
焚き木になりそうな、乾燥して軽い枝はないかと地面を見ながら歩いていると、ふいに後ろから“音”が聞こえた。
——しゃん、しゃん、しゃん…………しゃん!
鈴の音? それも、1個の鈴が鳴るようなちりんちりんという音ではなく、まるで錫杖のような、軽い鈴が何個も同時に鳴った、明らかに人工的な金属音――。
音はあまり離れていない。距離にしてだいたい十数メートル。先ほどまで我々がいた藤尾橋の袂あたりからだろうか。ほかに人などいないし、隠れられる場所もなく、音が鳴るような器具なども設置されていなかった。そう気づいた途端に全身が怖気立ち、走り出していた。
「やばいやばい、鈴鳴ってる鈴鳴ってる」
と、なかばパニックになっている私に対し、隊員たちは「え、鈴の音って先輩が鳴らしていたんじゃないんですか」と言う。鈴の音は、全員に聞こえていたのだ。
気づけば、皆駆け足になってキャンプ地に帰ってきていた。漆黒の向こうから何かが来そうな恐怖に誰もが固唾を呑んでいたが、何も来なかった。
いまだにあの音がなんだったのかわからない。おいらん淵にはやはり“出る”のかもしれない。

おいらん淵近くで野営した夜、献花し、線香を供えた。怪異が起きたのはその後のことであった……
文/成瀬魚交 写真/滝川大貴
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