北海道で公務員として働くかたわら、個人では日本全国のほぼありとあらゆる“都市伝説”を網羅した、作家の朝里樹さん。
彼が2017年に自費出版した同人誌が、日本全国津々浦々、マニアでも知らないような怪異話を事典形式でまとめた『日本現代怪異事典』だ。発売するや瞬く間に売り切れが続出。その後、笠間書院から商業版に改訂した同名本を発売するや、こちらも大ヒット。2022年時点で累計発行部数4万3000部超えを記録している。副読本や世界の怪異を扱ったシリーズ本も軒並みヒットし、一躍ホラー界の大人気作家となった。
今回はそんな怪異譚の新星・朝里氏が怖すぎる都市伝説をひとつ、ご紹介。
「今回紹介するのは2009年に某怪談サイトに投稿され、当時のオカルトファンを震撼させた『禁后(パンドラ)』という都市伝説です。だいぶ話を簡略化していますが、それでもこのお話のおぞましさに変わりはないでしょう……猛暑が続きますが、このお話で読者の方に一抹の涼しさを届けられれば幸いです」(朝里氏)
ホラー界ベストセラー作家が語る、猛暑が遠のく恐怖の都市伝説
数多囁かれる「都市伝説」を徹底調査の末に事典化し、ベストセラーとなった『日本現代怪異事典』。今回はその著者の朝里樹さんが「これは怖すぎる」と太鼓判を押した都市伝説「禁后(パンドラ)」をご紹介する。
大人たちが口をつぐむ「パンドラ」へ乗り込む中学生たち
投稿者はAさんという女性で、このお話は彼女が少女期に故郷で体験したエピソードです。そこは寂れた田舎町。子供たちには目立った遊び場もないような場所でした。その町の外れに一軒の空き家が建っています。二階建てのその建物は月日による風化で外観はボロボロ。いわゆる廃墟です。

ですが、普通の廃墟と違うのは、大人たちにその廃墟のことを聞こうものなら、なぜか厳しく叱られてしまうこと。もちろん、近づくなんてもってのほか。みんななぜそのような態度をとるのか、大人たちは理由を言わず、空き家が存在しないかのように振舞おうとしていました。
遊び場の少ない子供たちは、そんな町はずれの廃墟に好奇心をくすぐられます。まれに大人の目を盗んでは空き家の周りを探索する子供たちも現れ、
「その空き家には玄関がなかった」
といった情報を持ち帰ってきては、それが子供たちの間でまた様々な憶測を呼びました。出入りを封じられた奇妙な家は、いつしかそのタブー性と相まって「パンドラ」と呼ばれるようになっていったそうです。
Aさんが中学生になって何か月か経ったころ、ちょっとした好奇心から「パンドラ」に探索しにいくことなりました。メンバーはAさんを含めて男女6人です。
玄関のない「パンドラ」ですが、1階には窓はあります。男のコのメンバーのひとりがこの窓ガラスを割り、ついに禁断の「パンドラ」の内部へと6人は足を踏み入れることになりました。
しかし、中は特に変わった様子もなく、家具や人が住んでいた形跡はありませんでした。肩透かしに思った彼らは、次に2階を探索しようと階段へと続く廊下へ差し掛かったところで、異様な鏡台を見つけます。鏡台には棒が立てかけており、そこには黒く長い髪のカツラがかけてありました。
「びっくりした……人が座っているのかと思った……!」
にわかに恐怖にかられるものの、探索を続けることにした一行は階段で2階に上がります。そして2階の部屋のひとつにも同じように棒にかけられたカツラとともに鏡台が置かれていたのです。悲劇はまさにこの鏡台がもたらしたのでした。
自分の髪の毛をしゃぶり続ける呪いにかかるBさん
鏡台には3段の引き出しがついており、1、2段目の引き出しにはそれぞれ「禁后」と書かれた半紙が入っていました。あまりの不気味さに彼らはすぐに引き返そうとしたのですが、女のコのメンバーBさんが、ひょんなことから3段目、つまり一番下の引き出しを開けてしまいました。

その瞬間、そのBさんは引き出しの中を見つめたまま動かなくなってしまいました。そして、しばらくして「ガンッ!」と乱暴に引き出しを閉めると、肩より長かった自分の髪を鷲掴みにし、むしゃむしゃとしゃぶりだしたのです。
「おい、なにしてんだよ!」
制止してもBさんは夢中で髪をしゃぶり続けます。慌てた男子たちは彼女を抱え、Aさんたちは急いで廃墟を後にしたのでした。
空き家から一番近かったAさんの家に駆け込みます。Bさんの奇行を見たAさんの母親は、すぐに彼らのこの日何をしていたのかを察して𠮟りつけると、それぞれの親を電話で呼び出しました。
続々と集まってくる親に、子どもたちは言葉を詰まらせながら、鏡台や半紙といったパンドラで見た出来事を語りました。Bさんのお母さんは、涙で歪んだ顔でポツリと呟きます。
「3段目の引き出しを見たのは、うちの子だけ……?」
Aさんたちがおずおずと頷くと、Bさんの母親は「止めなさいよ! 友だちでしょう!?」と叫びだしました。そして、ある男のコのメンバーの父親からこんな話を聞かされたのでした。
「パンドラ」という家は親世代が子どものころからそこに建っていたそうです。そして、もとから人は住んでおらず、あの鏡台と立てかけられた黒髪のためだけに建てられた家だったのだとか。そしてAさんたちにこう告げます。
「Bちゃんのことはもう忘れなさい。もうお前たちとは会えない。それに……お前たちはあの子のお母さんから、たぶん一生恨まれ続ける。だから、もう関わらないようにしなさい」
その後、パンドラは住民たちによって中には誰も入れないような対策が取られたそうです。Bさん一家はしばらくしてどこかへ引っ越していき、Aさんと他のメンバーも徐々に疎遠となり、中学卒業後は会うこともなくなっていました。
それから数年が経ったある日、Aさんの母のもとに、Bさんの母から手紙が届きました。どのようなことが書かれていたか、内容はAさんに教えてくれませんでしたが、母はこんな意味深なことをAさんに言いました。
「母親は、最後まで子どものために選択肢を持っているのよ。ああなったのがあんただったら、私もそうしたと思うわ。それが間違っていてもね」
そう言われたAさんの脳裏には、Bさんの母親が我が子を救うために、“自らの危険すら顧みない何らかの対処”をしたのではないか、そんな考えがよぎったそうです。
町に伝わってきた“子どもを犠牲にして楽園へ旅立つ”凄惨な儀式
この話には、ひとつの “いわく”が絡んでいます。
かつて、娘に過酷な儀式を代々課している、とある家系がありました。その家系の母親は娘に通常の名前と隠し名を名づけ、誕生祝にひとつの鏡台を買うことになっていました。
そして、娘が10歳になったときに爪を剥がさせ、その爪を鏡台の1番上の引き出しに隠し名の書いた半紙とともに納め、13歳では抜いた歯を2段目の引き出しに同じく名前の書いた半紙とともに納め、さらに16歳で娘の髪の毛のすべてを切って、それを鏡台の前で食べさせる、という凄惨なものでした。

この儀式は、母親が娘を呪物として用いることで、母親の魂を楽園、おそらくは天国のような場所へと向かわせることを目的としていました。この悪習は時代とともに廃れていき、儀式を残す数少ない一家でも、元々の儀式の意味は失われ、隠し名は母親の証として、鏡台は祝いの贈り物として受け継がれていくようになりました。しかし、この一家を悲劇が襲います。
一家の女性、八千代には貴子という娘がいました。娘を大切に育てていた八千代でしたが、ある日、貴子は爪を剥がされた上に片手首を切断され、さらに歯の一部を抜かれた無残な遺体となって、誕生祝の鏡台の前で見つかったのです。貴子が10歳のときでした。夫は姿を消し、八千代自身も、頭皮が剥がれ、片手首が切断された異常な亡骸で見つかりました。
八千代の両親は、断片的に伝え聞いた知識で“楽園”を目指そうとした夫が犯人だと考え、呪い殺したそうです。家は母娘の供養のために残されることになりましたが、老朽化を理由に町の人たちが別の場所に家を建て、八千代と貴子の鏡台を移し替えたということでした。
八千代の鏡台の1段目には爪、2段目には歯と八千代の隠し名である「紫逅」と書かれた紙が一緒に入っていました。娘・貴子の鏡台の1段目、2段目ともに貴子の隠し名である「禁后」と書かれた紙だけが入っていました。
そして、ふたつの鏡台の3段目には、ともに二人の手首がそれぞれ指を絡めあった状態で入れられていました。さらに鏡台の前には棒のようなものが立てかけており、そこに八千代と貴子の髪が剥ぎ取られた頭皮とともにかけられていました。
Aさんたちが目撃したのは、このふたつの鏡台だったのです。
朝里樹が読み解く、八千代とBさんの母の共通点とは
この、片田舎に伝わる不可解な儀式にまつわる都市伝説を、朝里さんはこう評す。
「棒に立てかけられた髪、鏡台の中にある半紙、そして鏡台の中身を見て狂ってしまう子どもなど、廃墟探訪に来た子どもたちに不条理な恐怖が降りかかる様が実にスリリングです。八千代にまつわるストーリーでは、子どもたちが遭遇した呪いの正体が描かれていますが、母から娘へと受け継がれていく儀式の内容は非常に凄惨……。長い間自らの子どもを犠牲にし続けてきた、という歪んだ欲望が垣間見えるのがおぞましいです。
そして、これは少ない描写からの推測ですが、八千代は、子供を犠牲にして自分だけ“楽園”へ向かおうとする悪しき風習に対し、死後も娘を守ろうとしたのではないでしょうか。だからこそ、元の儀式にはなかったと思われる“手首を切って子供の手を握り、自分も娘と同じく頭皮を剥がす”という行為を行ったのでしょう。そして、Bさんの母親も娘を守るために、おそらくはこの八千代の決死の行動をなぞったと思われる描写が胸に迫りますね。
時代を超えてもなお、あの家に存在し続けていた儀式の呪い。娘を守ろうとした八千代の聖域とも言える場所に、土足で踏み込んでしまったがために、八千代の悲劇が繰り返されてしまうという、なんともやるせない恐ろしさと悲しさに満ちた秀逸な都市伝説だと思います」
この話をあなたがどう捉えるのかは自由だ。だが、仮に「本当かも……」と思ったとき、世界は恐ろしくも魅力的に輝きだす。都市伝説の面白さとは、その“虚実のあわい”にあるのだと思う。
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