「そこにいる人たちが納得していればいい」

–––先ほど「よい読後感のために、一度ストレスを作らないといけない」とおっしゃっていました。ということは、まずストレスのある状況やキャラクターを考えて、それをどう解決するかというアプローチで作品を描いているのでしょうか。

アンギャマン(以下同) そういうことが多いですね。読後感をよくするのって、問題を完全に解決させなくてもいいんですよ。その場とか、そこにいる人たちが「よかった」と納得していればいいというか。

たとえば『ラーメン赤猫』でいうと、佐々木が炎天下の中を歩く赤ちゃん連れのお母さんを見つけて、店に招き入れてラーメンを提供する話があるんですが、あれも今後のことを考えると課題がたくさんありますよね。「いつでもできることじゃない」とか、「今後もそれを期待されたら困る」とか。

でも、佐々木の明るい反応と、文蔵が「無理のない範囲でな」と言ったことで、その場は丸く収まっている。それでいいんだと。

《漫画あり》「漫画がおもしろければ、誰かが必ず見つけてくれる」「ジャンプルーキー!」からアニメ化まで登り詰めた『ラーメン赤猫』。漫画家・アンギャマンがこだわる「気持ちのいい読後感」_1
イレギュラーな接客に対し、店の今後を考えて苦言を呈するハナ。しかし、佐々木と文蔵の言葉で、その場ではひとまずの解決を迎える
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–––じんわり「よかった…」と思わせるリアルさがありますよね。

そう思っていただけるとうれしいです。「ジャンプルーキー!」に投稿している作品もそうですが、ほかの読み切りとか、前連載作の『夜ヲ東ニ』も同じことを意識して描いていたんですが……当時は世界観が重厚すぎて、僕の想いを読者に伝えきれませんでした。

その点『ラーメン赤猫』は、基本的には店内での話。舞台が限定されているぶん工夫が要求されるので、それが僕には合っていたんじゃないかなと思います。

《漫画あり》「漫画がおもしろければ、誰かが必ず見つけてくれる」「ジャンプルーキー!」からアニメ化まで登り詰めた『ラーメン赤猫』。漫画家・アンギャマンがこだわる「気持ちのいい読後感」_2
一度はお店にトラブルを持ち込んだ迷惑系YouTuberが、更生して再訪する話。締めの文蔵のセリフは、『ラーメン赤猫』の"読後感”を象徴するシーンだ