学習指導要領に見られる自由と自律

郷土愛を説く日本の道徳教育を、カントならどう評価するか_01
すべての画像を見る

現行の『学習指導要領』では、それまで「教科外活動」という位置づけであった「道徳」が、「特別の教科 道徳」に格上げされました。それ以前の学習指導要領においても自由と自律の重要性について言及されていましたが、そのスタンスは引き継がれることになりました。

今回の『小学校学習指導要領』にある「特別の教科 道徳」の項目には、以下のように自律の重要性について説かれています。

各学年を通じて、自立心や自律性、生命を尊重する心や他者を思いやる心を育てることに留意すること。(文部科学省『小学校学習指導要領』)

このように、全学年を対象に、自律の重要性が説かれているのです。高学年に向けては自由と絡めて、自律の重要性について以下のように記述されています。

自由を大切にし、自律的に判断し、責任のある行動をすること。(同前)

「自由」という用語に関して、自分勝手な振る舞いを指すものと思い込んでしまっている子供がいることを想定して、文部科学省が作成した『私たちの道徳─小学校五・六年』には、その場の瞬間的な感情に流されることは自由などではなく、そういった感情を抑えて自らを律することが、自律と言えるのであり、自由な判断と言えることの説明がなされています。

この箇所だけを読むと、カント的な自由概念・自律概念について説かれているように見えるかもしれません。しかし、『学習指導要領』の記述が、完全にカントに沿っているわけではありません。

『私たちの道徳』が念頭に置いているのは、計画的に勉強するとか、お金を使うとかいったことなのです。つまり、短期的なその場の欲求に流されずに、長期的な目標に向かって自分を律することが、自由であり、自律であることになるのです。

他方、カントであれば、その長期的な目標が自分の利己的な都合によって立てられているとすれば、それは自由でも自律でもないことになります。