2022年3月末に惜しまれながら宝塚歌劇を退団した演出家・上田久美子。2013年に演出家デビューを果たして以来、宝塚らしいロマンを帯びた重厚な人間ドラマを描くと共に、社会の問題も提起するような作品の数々は常に注目を集め、多くの観客の心を掴んできた。

退団後は、中村勘九郎主演の朗読劇の脚本や、イタリア名作オペラの演出などが発表され、今後の活躍が期待される若手演出家のひとりだ。ここでは、上田が宝塚で手掛けた4作品を取り上げ、その魅力を紹介していきたい。

ショー・テント・タカラヅカ『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る−』

現代社会を批評し、宝塚らしさを貫く ――稀代の演出家・上田久美子の足跡を振り返る_a

2018年、珠城りょう、愛希れいか主演の月組公演にて、『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る−』が上演された。本作は、宝塚史上初の女性演出家によるショーという点においても注目される。だがそれ以上に大きな反響を呼んだのが、社会を風刺するような内容だった。

舞台は、全ての悪が鎮圧された上に、飲酒・喫煙が禁じられている平和な惑星国家・地球。あるとき、月から大悪党・バッディ(珠城)がタバコを吹かせ、仲間たちと乗り込んでくる。地球の秩序を守る女性捜査官・グッディ(愛希)は、やりたい放題悪さをするバッディを捕まえようと躍起になる。地球と月の人間たちは対立し合いながらも、次第にお互いの持つ魅力に影響されていくという物語仕立てのショーである。

とりわけ印象深いのは、バッディに出会ったことで、グッディに生まれて初めて「怒り」の感情が沸き起こる場面だ。グッディは「血潮が駆け巡る! 身体中の細胞が蘇る! 私は生きている!」と歌い、激しく踊る。そんな彼女に呼応し、仲間・グッディーズによるほとばしる感情を爆発させたようなラインダンスが展開される。皮肉にも、怒りや憎しみといった感情は、グッディに生きていることを実感させるものだったのだ。

本作を観ると、胸がすく思いがする。善悪・愛憎といった、相反するものの共存は世の理であり、「必要悪」と呼ばれるグレーな部分もあってこそ人間らしいと感じられるからだ。上田は舞台上で都合の悪いものに蓋をし、小さな衝突をも避けるような無菌室状態の世の中に警鐘を鳴らしたのである。

宝塚では斬新に感じられる作風の本作。だが実は、こうした風刺を含む内容は、宝塚の創始者・小林一三が歌劇団の目指すべき舞台として唱えた「国民劇」の思想に適っているのだ。国民劇とは、時局や国民思想を取り込んだオリジナル・ミュージカルを指す。余談であるが、小林が国民劇の見本であると絶賛した作品は、当時の戦後日本の混沌とした世相を風刺的に描いたグランドレビュー『河童まつり』(作・演出/高木史朗、1951年花組初演)であった。

もし、小林が上田のショーを観たら、「これぞ理想の国民劇だ!」と賛辞を送ったに違いない。