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生い立ち

棋士、藤井聡太は2002年7月19日、愛知県瀬戸市に生まれた。藤井誕生の2日後にはフィギュアスケートの紀平梨花選手が兵庫県で生まれている。華やかなスターが相次いで生まれた年と言ったらこじつけか。いずれにしても、藤井は21世紀に生まれた最初の棋士である。

瀬戸市は名古屋市中心部より北東へ18キロほど。尾張北部に位置し、北は岐阜県と隣接している。古くから陶磁器、いわゆる「瀬戸物」の産地として知られるが、今は「藤井聡太の住む町」として有名になっている。市は名鉄瀬戸線で名古屋と結ばれていて、名古屋の中心部まで20分ほど。藤井はこの電車を使って中学、高校と名古屋まで通った。

聡太の父、正史さんは大手住宅設備機器会社に勤めるサラリーマン。レコード集めが趣味で、外国のロック音楽を中心に幅広く集めているそうだ。母の裕子さんは専業主婦だが、バイオリンが趣味で、愛知県で将棋イベントが行われた時は、その腕前を披露されたこともある。

お父さんもお母さんも音楽が趣味だが、小さい頃の聡太は聞くだけだったという。その代わり、聡太は別の分野で才能を示した。

藤井家は両親と聡太、そして聡太の4歳上の兄の4人家族だ。小さい頃の聡太はやんちゃでお兄ちゃんと一緒に走り回って遊んでいたという。ドッジボールなどのボール遊びが大好きな少年だったが、プラレールを与えると部屋いっぱいにレールを組み立てて遊んでいたそうだ。

生まれつきの集中力

将棋を覚える前の藤井はどんな子どもだったのか。裕子さんにいろいろ聞いた。

やんちゃで動くのが好き。それは間違いないが、「何事もやり続ける集中力は最初からありました」と裕子さん。

3歳から4歳にかけて、モンテッソーリ教育を取り入れた幼稚園に通っていた聡太は、紙を編んで作る「ハートバック」という袋を毎日大量に作って家に持ち帰ったそうだ。

実物を見せてもらったが、10分やそこらでできるものではない。子どもの手なら、1つ作るのに30分以上かかるのではないか。それを100個は作ったというから、すごい。

4歳になると、今度はクリスマスプレゼントでもらったスイス製のキュボロという木製玩具にはまった。空中に立体迷路を作って、ビー玉を走らせる知育玩具だが、かなり複雑で大人でも最初はてこずる。それを一人飽きずに何時間でもいろいろなパターンを作り続けたという。この遊びは将棋に夢中になる中でも、しばらく続けていたそうだ。

自分で興味を持ったことはとことんやる。藤井の一番の強みはこの集中力だ。

「聡太、お母さんにゴロにゃ~んしてると将棋がうまくならんぞ」藤井聡太は何歳から将棋を始めたのか? 運命を変えた「ふみもと子供将棋教室」で発揮した異才_1
藤井少年が作ったハートバック
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