毎年、講義でひっかかる「侮辱罪」とは

日常生活のあちこちに、「ふと気になること」との出会いがある。たいていは「そのままスルー」となるのだが、いつまでも気になり続けているものの中には、ふと「新たな学問的論点」にたどり着くことがある。

本連載の担当者から、その「ふと気になること」を書き留める原稿を書いてほしい、との依頼を受けた。私自身では「新たな学問的論点」にたどり着けなかった「ふと気になること」でも、文字に残しておけば、共感してくれたり、新たな発見につなげたりしてくれる人がいるかもしれない。

そんなことを考えて、この連載を始めることにした。お付き合いいただければ幸いだ。

私は大学で、「情報法」という講義も担当することがある。「表現の自由」や「通信の秘密」といった憲法原則を論じた上で、名誉権やプライバシー権との調整、マスメディアの取材の自由や、放送法・電気通信事業法・プロバイダ責任制限法などについて解説する講義だ。ここで、毎年、ひっかかるのが「侮辱罪」(刑法231条)だ。

【刑法231条】
事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。

侮辱とは、侮辱的な価値判断を提示することを意味すると理解されている。大勢の人がいる前で、あるいは、ブログやSNSで、「○○はバカ」、「××は無能」と他人について言及すれば、形の上では侮辱罪が成立することになる。

ここでふと考える。たくさん人がいる場所で、すれ違いざまにちょっとぶつかりそうになっただけで、「バカ」と怒鳴りつけられた経験を持つ人は少なくないが、言ってきた相手を警察に突き出した人はそうそういないだろう。これは、「証拠がないから仕方ない」といえるかもしれない。でも、ネットが普及した今日、侮辱罪にあたる行為の記録はわんさか残っている。例えば、Twitterで「バカ」と「無能」で検索すれば、直近10分に限定したって、何百という事例が見つかるはずだ。なぜ、あのお行儀の悪い人たちは処罰を受けないのだ?

常識的に考えて、それらを片っ端から処罰するなんて、さすがにキリがない。いや、「キリがない」なんてレベルではなく、不可能だ。となると、裁判所には、「バカ」・「無能」といった侮辱的な表現の中から「違法なもの」だけをセレクトする基準があるはずだ。警察や検察も、それを基準に摘発例を選んでいるのだろう。

では、裁判所はどんな基準でセレクトしているのか? 判例集や判例データベースを検索してみたが、侮辱罪の有罪事案はほとんど出てこない。というわけで、「侮辱罪とは何なのか」について、釈然としない感を抱えながら、私は講義を続けてきた。