学者とはかくも恐ろしい生き物なのか……。
本書を通読したいま、そう恐れ慄いている。

昨年7月の安倍晋三横死事件以降、にわかに統一教会に対する社会的関心が高まった。統一教会(現・世界平和統一家庭連合)のみならず、日本会議、そして公明党=創価学会と、政権与党・自民党のまわりには、とかく宗教勢力の姿が見え隠れする。それら宗教勢力がどれほどの影響を自民党に与えているのか、そして政治と宗教はそもそもどのような距離感を持つべきなのかについての議論が、あの不幸な事件を契機に、熱を帯びて展開されるようになったことは当然のことではあろう。

しかし、その議論はいささか冷静さを欠いてはいまいか。統一教会の悪辣さに目を奪われ、全体像を見失ってはいないか……。本書は、こうした「違和感」を出発点とし、「政治と宗教の関係」に関する議論を改めて冷静に、そして「民主主義を守る」という視点から、やり直そうと問いかける。

本書では、統一教会のみならず、日本会議と創価学会についても検証が加えられている。自民党を取り巻く三大宗教勢力の全てを横断的に論じきり、しかもそれを新書サイズにまとめ上げた橋爪大三郎の筆力は、まさに圧巻だ。

だが、私は、その「書く力」に、「学者という生き物の恐ろしさ」を感じたのではない。

自民党をとりまく宗教勢力の様子を横断的に捉え議論しようとする試みはこれまで何度もなされてきた。しかしそのほとんどは失敗に終わっている。何故か。書くために必須の「読む作業」が出来ないからだ。宗教勢力は膨大な数の書籍やパンフレットを通じて教義や主張を宣伝する。ひとつの団体だけならまだしも、複数の団体の印刷物を横断的に読み込むなど、物理的に不可能なのだ。

しかし橋爪大三郎はそれを見事にやってのけた。無論それは先行研究の参照という形で行われているのだが、そのセレクトが実に素晴らしい。膨大に積み上がった資料の山から、統一教会、日本会議、創価学会のそれぞれが持つ問題の本質を抉り出す資料に、最短距離かつピンポイントで到達している。その手際の鮮やかさと確かさこそ、学者の真骨頂だろう。

そう。私は、橋爪大三郎の「読む力」にこそ、「学者という生き物の恐ろしさ」を感じ、畏敬の念を覚えたのだ。

当代随一の泰斗が、その尋常ならざる「読む力」と「書く力」の双方を注ぎ込んだ本書は、今後「政治と宗教」の議論に参加する人々にとっての、ひとつの確かな羅針盤になるに違いない。

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