「東京で仕事ができるわけない」は幻想 岡山と青森、地元で就活した山﨑夕貴・小山内鈴菜アナの上京物語_1

「地元で暮らすもの」と思っていた

――地元のテレビ局のアナウンサーになるという選択肢はあったんでしょうか?

山﨑夕貴アナ(以下、山﨑) もともとは地元・岡山でアナウンサーになることを目指していました。

小山内鈴奈アナ(以下、小山内) 私も第一志望は宮城のテレビ局でした。ただ、選考の時期が地方局よりもキー局が先なので、せっかくなら受けてみようかなと……。

山﨑 だから、キー局は記念受験的な感覚で、受けると決めたのも急だったんですよね。選考の2ヶ月前に「受けます!」と大学の先生に言って、エントリーシートの書き方をみていただいて……。アナウンサーの面接は、白のスーツや華やかなスーツで受ける人が多いのですが、当然持っておらず。親にお願いしたものの「岡山のテレビ局を受ける時に買うからね」と言われ、大学の入学式で来たグレーのリクルートスーツで受けました。

小山内 たしかに、みなさんおしゃれに見えました。

山﨑 おしゃれなスーツの受験生が出てくるたびに「終わったー」って絶望していました(笑)。今となっては、無理して白いスーツを着るよりも等身大の姿を見せられたのでよかったのかなと思いますけど。

――実際に地方局も受けたのでしょうか?

山﨑 フジテレビから内定が出ていたので、系列局は受けませんでしたね。

小山内 私もそうです。フジテレビから内定をいただけたなら、フジテレビに行こうと決めました。

――東京で就職することについて、ご家族はどのような反応をされましたか?

小山内 私の家族は、楽しんでいましたね。三次面接に合格したあたりから「ひょっとしたらいけるんじゃないか?」って。でも、それは本気で行けないと思っているからこその言葉だったと思います。

山﨑 わかるな〜。私の両親も応援してくれていましたが「受かるわけない」と思っていたようですし「岡山で就職してくれるのだろう」と言っていました。だから、いざ最終面接を受けることになったときには、ちょっと寂しそうにしていましたね。

小山内 そうなんですよね。受かったことを報告した後で父親が「東京で生活できるのか?」って心配し始めていました。

山﨑 内定をもらった時は「おめでとう!」と言ってくれたのですが、受かってから実際に上京するまでの1年半は両親にとっても心の準備期間だったのではないかなと思います。フジテレビに内定をいただいた時点で、他の企業は受けなかったので、親も覚悟を決めてくれたのかなと。