時代にそぐわない!? アワードショーの問題点

さて、最後に少しだけエミー賞の問題点にも触れておきたいと思う。

もはや珍しいことではないのだが、今年の受賞式の視聴者数はアワードショーの歴史の中で過去最低の592万人だった。Peacockでの視聴者数は公開されておらず、Twitter上では盛り上がっていたという前向きな分析もある。しかし、近年はアカデミー賞、グラミー賞、エミー賞といった主要な賞の授賞式は、視聴者数が前年を上回ることはあっても、基本的に下降傾向にある。これまで権威とされてきたアワードショーそのものが、時代にそぐわないのではないかといった議論は、ますます活発化している(と思う)。

エミー賞は業界の身内の賞という側面が強いが、今年候補になった作品はいずれも秀作・力作であることは先に書いた通りだ。しかし、動画配信サービスのオリジナル作品が加わったことで、TVの黄金時代のアメリカの番組は多様化し、その数は10年前とくらべても比較にならないほど膨れ上がっている。

投票する会員が視聴できる作品数は限られており、とりわけ、人気があれば何年も続くTVシリーズを、新作に加えて追いかけることは物理的にも難しい。そのためシリーズものは一度評価された作品が、翌年も続けて高い評価を受ける傾向にあるのだ。もっとも、これは動画配信サービスが登場するずっと昔から不満の声が多く聞かれていた問題のひとつでもあるのだが。古参の海外ドラマファンなら、全盛期を過ぎてもしつこく評価され続けたロングランシリーズのタイトルが、いくつも頭に思い浮かぶだろう。

筆者自身も実感していることだが、COVID-19のパンデミックにかかわらず、視聴者離れが加速するアワードショーの現実は、批評家がその全体像を把握することさえ難しい時代におけるアワードの存在意義を考えさせられる。


文/今祥枝

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