出会いはどこにあるか分からない
小川 私の話で恐縮ですが、最初に魂を福井さんにつかみ取られたのは「ジャージー・ボーイズ」なんです。
福井 それを伺いたいんです。普通はみなさん中川晃教くんや海宝直人くんにいくと思うんですよ(笑)。
小川 どこで人生、推しに出会うか分かりませんね。舞台を観る人は必ずしも主役を見ているわけじゃないんです。アンサンブルの中に、えっ、何この人? と惹きつけられて、プログラムで名前を確認したくなる人に出会うようなお芝居もあります。「ジャージー・ボーイズ」もソロでは一節ぐらいしか歌われませんでしたよね。
福井 基本は低音のコーラスですからね。
小川 ニックは4人の中で一番切ない存在です。彼にも才能があったのに、途中で自ら辞めて去っていく、その後ろ姿を見送るときに胸にじーんときてしまって。
福井 ニックを演じた者としてうれしいです。
小川 まだ全然お芝居に目覚めていなかったので、たった1枚しか切符を取っていなくて、ホワイトチームとレッドチーム、どっちでも私はその時点ではよかったんです。だから、もし赤を取っていたら、吉原さんのファンクラブに入っていたかもしれない(笑)。
本当に運命としか言いようがないですね。それで福井さんのプロフィールを調べているうちに、お父さんが数学者であるということに、さらに心ときめいてしまいました。数学者の小説を書いていますし、愛着があったんですね。そして元野球少年でいらっしゃる。まさに私が好きになる条件が全部そろっている。
福井 僕も阪神ファンです。
小川 それまでは甲子園球場にたまに阪神の応援に行くぐらいしか趣味がなかった人生に一つ大きな別な喜びを与えていただいて感謝しております。
福井 『博士の愛した数式』を読んだとき、数学と野球、阪神ファンであることに縁を感じて、他人ではないように思いました。
小川 『博士の愛した数式』を書いたかいがありました(笑)。
福井 前世でつながっているのかもしれません。
小川 「ジャージー・ボーイズ」とともに印象深いのは「ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド」です。コロナ禍で数日だけ開いたときの切符を持っていまして、観ることができてよかったです。ぜひ再演していただきたい。ジャン・バルジャンとは違う、妻を失った悲しみから立ち直れず、子どもたちの悲しみにまだ寄り添えていない父親役でしたね。
福井 そうですね。逆に子どもたちのほうが大人でダメダメな父親でした。
小川 福井さんの持っている父性が違う方向に出ていました。最後、不協和音がわーっと鳴り響く中、福井さんの歌声、あのお父さんの歌声が、希望につながっているようなラストで、もう一回観ようと思って大阪でも切符取っていたのですが叶いませんでした。
福井 作品も曲もいいですし、ぜひ再演したいです。
小川 それからガーシュウィンの手紙の朗読劇も好きです。
福井 「アメリカン・ラプソディ」。すてきな作品ですよね。
小川 土居裕子さんが歌うブルースもすばらしかったけど、福井さんの朗読も素敵でした。朗読の声も魅力的です。
福井 それなら小川さん、僕のために何か書いていただけますか(笑)。
舞台を愛する人たち
小川 最近は小説のオーディブルもあるので、ぜひ作品を朗読していただきたいです。
福井 僕も一つ伺いたいと思ってきたことがあるんです。作中に出てくる「無限ヤモリ」は本当にいるんですか。
小川 いえ、いません。空想の産物です。
福井 実際にあったらすごいなと調べてみたのですが出てこなくて。細かく描写されているのでつい信じてしまいました。徹底的に取材されたりするんですか。
小川 いえ、案外取材はしていないんです。ほんのささいな現実との出会いが、思いも寄らない空想の世界を生み出す。そこが小説の神秘的なところです。
福井 舞台のことを小説の題材にしていただいたことには感謝しかないです。僕ら役者としては、本当にありがとうございますと申し上げたい。そして読んでいて楽しかったです。自分が演じ手なので、どの物語も感情移入できて、しかも本当に思いもつかないような世界に連れていっていただいた。役者にとっては身近な自分の物語として読めました。また舞台を愛する人たちも本当に楽しく読めるし、舞台に興味がない人もこれを読んだら、舞台ってすごいすてきなところなんだなと思えるんじゃないかな。本当に楽しく読みました。何度でも読み返したいです。
小川 ありがとうございます。今の言葉だけで私は本望でございます。それにしても舞台というのは魔法がかかっていますよね。大げさにいえば、一旦劇場に入ると生きて帰れるかなとさえ思います。たとえば地下にある劇場だと階段を下りていくと出られないんじゃないかという不安に襲われたりする。終演後外に出て、思いのほかまだ明るかったり、あるいは真っ暗だったり、世界が入ったときと全然違っていて、劇場に入ったときの自分と出たときの自分が別物になっているような気分を味わえます。
福井 3時間と短い時間ですけど、現実を忘れられる夢の世界です。
小川 同じことを小説は全部言葉でやらなくちゃいけないという不自由さがあるんですけれど、舞台は、音楽で、セットで、衣装で、役者さんの動きでといろんな挑戦ができて、言葉から解放される喜びがあります。
福井 この9月には「北斗の拳」の再演があるのでまたぜひいらしてください。
小川 もちろんです。私は子育てが終わって、両親を見送って、犬も死んじゃってみたいな状態だったときに「ジャージー・ボーイズ」に出会いました。何か応援したい人が人生には必要なんだなと思いますね。子どもから手が離れて、心配したり、愛情を注いだりする相手がいなくなっちゃって、そういうものを求めているときに推しって現れるんですね。
福井 推し活、ありがとうございます。
小川 人間ってやっぱりそういうものなんですね。自分のことだけを一番に考えたらいい、思う存分小説を書けばいい時代が来たのに、何で私はこんなに劇場に来ているんだろうと思ったりもしますが(笑)。
私はこうして今日お話しできて一つ夢が叶いました。福井さんはなにか夢がおありになりますか。
福井 いま子どもが3歳なので、この先息子も楽しめるような作品に出られたらいいなと思っています。オンライン配信ではすでに僕の出ている作品を観たりしているのですが、劇団四季時代に演じた「ライオンキング」のお父さんのような、家族で楽しめるような作品にかかわれたらいいですね。
小川 それは素敵ですね。
福井 あと、もう一つは、出身地である北海道で何かやれたらと思っています。鄭さんが北海道の札幌座さんとコラボして、1か月札幌で稽古して公演したのち、東京の浅草九劇でも上演するらしいんです。いいお仕事だなと思います。僕もいつか地元である北海道を中心にした公演にかかわってみたいですね。
小川 そのときは北海道に参ります。いつまでもお元気で舞台に立ち続けて、長生きしてください。それだけが望みです。これからも応援しています。今日は本当にありがとうございました。
「すばる」2022年10月号転載
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