審査員のコメントの唯一“残念だった”ポイント

別の角度から見れば、ツッコミがいなくても笑いどころを判断できるほど、視聴者や観客の笑いを受け取る力が育ってきた、とも考えられる。

芸人に「ここがおもしろい」と教えてもらわなくても、自分で笑う場所を見つけられる。もはや多くの人の脳内に、1人のツッコミがいる。ツッコミの民主化。「誰も傷つけない笑い」は、「自分でおもしろポイントを見つけられる(と思っている)見る側のプライドを傷つけない笑い」という面もあったのだろうか。

さて、おもしろい箇所を明示するという点で言えば、ネタでのツッコミとお笑い賞レースの審査員のコメントには同じ役割があると言えるだろう。ツッコミは笑いを生むため、審査コメントは納得を生むためにある。では、今回の審査コメントはどうだったか。正直なところ、かなりふわっとしていた。

審査員長的ポジティブの飯塚悟志(東京03)(C)産経新聞社
審査員長的ポジティブの飯塚悟志(東京03)(C)産経新聞社

「いい設定でした」「こういう斬新な設定は見たことない」「もうちょっと爆発がほしかった」「いつもに比べると爆笑の箇所が少なかった」「もう少し笑いにつながる展開が見つかれば」「予測できない笑いがほしかった」「無駄がひとつもなかった」「もっとぶっ飛んでくれてよかった」「途中で意外性のあるところに行ってもよかった」「ちっちゃく終わっちゃってる気がした」「狭いなかでやっている」――。

まだまだ挙げることができるわけだが、抽象的なコメントがとても多い印象だ。「いい設定」だとしたら、どこがどういい設定なのか。「もっとぶっ飛んでほしかった」なら、それは具体的にどういう展開で実現できたのか。

「狭いなかでやっている」という低評価は、その直前に別の審査員がしていた「日常のありそうなとこからの膨らまし方がめちゃくちゃうまくて」という高評価とどう整合するのか。

何が良くて、何が悪くてこの点数なのか。具体的な説明がなければ、審査コメントは評価の根拠ではなく、評価した雰囲気を伝えるだけの言葉になってしまう。