「使わない」という声は、20年前から途切れることなく届いている

「アプリ? 使わないよ。ネタバレになるから」こんな言葉を、山でベテランらしき人から聞いたことはないだろうか。あるいは、あなたはそう思ってはいないだろうか。
ヤマレコを開発してきた立場から言うと、この声は20年前のサービス開始当初から今日まで、途切れることなく届き続けており、決して少数派ではない。

登山アプリには大ざっぱに分けるとふたつのタイプがある。山と高原地図やジオグラフィカのように地図表示を中心にしたタイプと、ヤマレコやYAMAPのようにナビゲーションのハードルを下げることを重視したタイプだ。

ヤマレコなら、予定ルートを登録するだけで道を外れたときに音声による警告があるし、ほかの登山者の記録から最新の現地状況が確認できる。それでも「使わない」人はいる。

なぜ「使わない」のか。その気持ちはどこから来るのか。使わないことで生じるリスクと、楽しみを損なわずにアプリとうまくつきあう方法を考えてみたい。私はアプリの開発者なので「使ったほうがいい」という結論になりはするのだが、「あえて使わない」人の気持ちを考えながら話を進めていこう。

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ネタバレを避けたい、自由でいたい。「使わない派」の6つの理由

「使わない」派の中心にいるのは、登山ガイド、山岳関係者、長年自力で技術を磨いてきたベテランなどだ。その理由を整理すると、だいたい次の6つになる。

① ネタバレを避けたい 「初見の山を何も知らずに登るからこそワクワクする」。そういう価値観が根底にあるのだろう。自分の目でルートを見極めるのが楽しいのに、「この岩は右から登る」という情報が頭に入ってしまうと、そのとおりに進みたくなる。それで登れたとして、それは自分の力で登ったと言えるのか? クライミングのオンサイト(一撃=初めて見るルートを事前情報なしに1回目のトライで完登すること)に通じる感覚だ。誰かが歩いたことがあるとわかっただけで、だったら歩きたくないと思う人はいる。

② アプリに縛られたくない 山行は計画どおりには進まないものだ。天候や体調はしょっちゅう変わるし、そのときの感覚でルートを変えたい。紙の地図とコンパスを手に、さまざまな選択肢があるなかでどう動くかを考えながら歩く。その「考える行為」こそを楽しみたい。アプリを使わない、という主張の裏には、この「考える行為」=「自由」を手放したくない、という気持ちがあるのかもしれない。

③ 技術や経験を無駄にしたくない 読図、地形判断、山座同定など、長年かけて磨いてきた技術が、アプリを使った瞬間に不要になってしまう気がする。その感覚はわからなくもない。積み重ねてきたものへの誇りが揺らぐような感じ、とでも言おうか。「アプリを使うやつは技術を軽視している」という感情面の反発も、その延長線上にあるのかもしれない。

④ デジタル機器への不信感 バッテリーが切れる、落とせば壊れる、寒冷地で電源が落ちる、圏外では何もできない。こうした事実への不信感は、その人にとっては正しい。紙の地図とコンパスを駆使して山を歩いてきた人ほど、そう感じるのは自然なことだと思う。

⑤ 楽しみが均一化する みんなが同じ記録を見て、同じルートを歩き、同じ場所で写真を撮る。それはガイドブックをなぞっているだけではないか? そういう疑問からの見方だ。山の楽しみ方はもっと多様なはずなのに、アプリの情報がそれを狭めるのでは、という懸念がある。

⑥ 情報の質が悪い 「ヤマレコのせいで遭難する」……ウェブサイト時代から今日まで、繰り返し聞いてきた言葉だ。「簡単だと書いてあったから行ったのに、全然そんなルートじゃなかった」という経験からくるのだろう。情報の発信者の意図と、受け取る側の経験値がかみ合わないことで生じる問題だ。