郷土への誇りと愛から生まれる稀有なワイン

櫻井 さて、今日ご覧いただきますのは、この後、皆様にテイスティングしていただくワインが生まれたイスキア島の映像です。ナポリからフェリーで1時間くらいの、ナポリ湾に浮かぶ島です。講座では、アントニオ・マッツェッラというワイナリーが自社で作った映像などをお借りして、現地に行かれたことのない方にどんなところかイメージしていただけるよう工夫をしました。そのワイナリーの畑というのが、海に面した断崖の上にあるんですね。

田中 私は講座を受けていたから時々こういう映像を拝見したんですけれども、本当に土地の特徴がよく表れていますね。まず、畑まで車が入れるような道がない。で、どうするのかというと、畑で手回しの圧搾機で葡萄を搾って果汁にし、崖の下の海に浮かぶ舟までホースで送って回収する。それがそのまま醸造所のロゴマークにもなっているんですよね。ワインと土地のかかわりが深いということがよくわかります。

ワイナリーのロゴにあしらわれた手回しの圧搾機のイラスト。青い線が果汁を通すホースを思わせる
ワイナリーのロゴにあしらわれた手回しの圧搾機のイラスト。青い線が果汁を通すホースを思わせる

櫻井 こちらは兄妹でやっているワイナリーなのですが、兄のニコラさんが素晴らしいなと私が思いましたのは、自分たちがやらなければこの葡萄畑は見捨てられてしまうんだ、耕作放棄地になるしかないんだと仰るんですね。そういうある種の使命感をもってワインを造っていらっしゃる。ですから、会社が大きくなることももちろん大事にされていると思うんですが、自分たちの島をよくしていきたいという気持ちがあってワインを造っているのだということを、私はインタビューをしていて感じました。

田中 本当に、ご本で紹介されている中にはそういう土地がたくさんあって、ワインをいただいていてもすごく多様だし、さらにその多様性の向こうにある葡萄の種類そのものがすごく多いですよね。フランスだとワインにする葡萄は300種くらいなのに、イタリアには1800種くらいあると。だからイタリアでは、それぞれの土地で、小さい規模だけれどもすごいものができるというのがよくわかります。

櫻井 はい、1800種というのはあくまで国のデータベースに登録されている数字でして、実際には登録されていない、広く知られていない葡萄も相当数あるといわれています。それだけイタリアの葡萄の多様性というのは大きくて、それがワインの豊かさに直結しているということなんですね。

田中 そして、こちらのワイナリーは本当に家族でやっていますね。インタビュー中にも、赤ちゃんの声が聞こえてきたり(笑)。

櫻井 赤ちゃんの声が聞こえてくるわ、宅配のピンポンが鳴ったりするわで、編集なしにはお見せできない映像なんですが(笑)。

田中 家族っていうのが単なる制度なんかじゃなく、本当にみんなで一緒に働いているんですね。それこそ土を耕すところから。葡萄の種類が多いのはわかりましたが、妹のヴェネランダさんのお話では、その畑の環境の香りがワインに入ってくると。そこからまた多様性が生まれるわけですね。

櫻井 はい。彼女も女性の葡萄栽培醸造家のひとりといえると思うんですが、やはり女性の感性は素晴らしいなと感じたポイントがいくつかありました。たとえば香りについて語るところで、彼女は自分の感性をのせて、イスキアの風景になぞらえてワインを説明することができるんです。畑の間にある灌木や柑橘類、島では5月に咲くエニシダの香りを、グラスの中のワインの香りにも見つけることができると仰るんですよ。機械的、理知的にものごとを進めていくニコラさんに対して、彼女は文学的、抒情的にワインを説明できる。うまく兄妹で棲み分けているんだなって思いますね。

田中 ワインの説明って普通に聞くとわかりにくいなと思うんだけど、色々な喩えを使ってやるんですよね。それがとてもよくわかりました。

櫻井 それと、あえてヴェネランダさんにインタビューを申し込んだ理由としては、イスキアの歴史について語ってほしいなと思ったんです。すると、「ネストルの盃」というテラコッタのカップが出てきまして、それについてもきちんと自分の考えをお話ししてくださったので、本当に助かりました。

田中 ワイン用の葡萄と一緒にギリシアから持ちこまれたっていうお話でしたよね?

櫻井 はい、盃の側面には古代ギリシアのアルファベットが刻まれていて、その記録としては最古のものともいわれています。実はこのことが、優子さんのイシス編集学校も構成に携わっている『情報の歴史21』という本の中に書かれていて、私はびっくりしたんですよ。

田中 はい、これのことです。

『グラスの中のイタリア』でも紹介しているネストルの盃。古代ギリシア人によってイスキア島にもたらされた
『グラスの中のイタリア』でも紹介しているネストルの盃。古代ギリシア人によってイスキア島にもたらされた

櫻井 もしかしてその盃のことを知っているのは日本で私だけなんじゃないかなんて思っていたんですけど、松岡正剛さんはご存じでした(笑)。イスキア島はギリシア人がイタリアで最初に拠点とした地といわれていまして、イタリアワインの歴史の中でも非常に重要なので、私の本の第1章はこの島から始めたいと思っていました。

田中 盃は紀元前8世紀ですから、イスキアのワインの伝統はとても古いんですね。しかもイタリアのワインそのものは6000年前からあるというんでしょう? 日本は縄文時代ですよね。もちろん紀元前8世紀もまだ縄文時代ですけど。

櫻井 どこでワインが始まったのかということを突き止めるのはものすごく大変なんですけれども、イタリアの人たちはそれを非常に一生懸命にやっているんです。ネストルの盃のようなものを自分たちの地域から見出して、それを自分たちの生産するワインにうまく投影していくんです。

書籍でも紹介した「ヴィーニャ・デル・ルーメ」。抜栓すると、甘く華やかな香りが会場に広がった。ラベル右側にはアラゴン城が描かれている。この城はフランスのモン・サン=ミシェルのように、浅瀬に浮かぶ岩の小島に建つ
書籍でも紹介した「ヴィーニャ・デル・ルーメ」。抜栓すると、甘く華やかな香りが会場に広がった。ラベル右側にはアラゴン城が描かれている。この城はフランスのモン・サン=ミシェルのように、浅瀬に浮かぶ岩の小島に建つ

櫻井 今、モニターに映っているのはイスキア島にあるアラゴン城ですが、これが「ヴィーニャ・デル・ルーメ」のラベルに描かれています。この城はスペインのアラゴン家とゆかりがあるのですが、16世紀に城主だったヴィットリア・コロンナという女性はミケランジェロと友人だったと。

田中 その彼女の肖像を、ミケランジェロが描いている……。

櫻井 そうなんです。そういう意味で、イスキアというのは決して離れ小島ではなく、非常に文化度の高い歴史が重層している場所なんですね。それをうまくワインのイメージにつなげたいということで、アラゴン城の入ったラベルをデザインしています。

「ヴィーニャ・デル・ルーメ」自体は「光り輝く葡萄畑」という意味なんですけど、海面から切り立った断崖の上の段々畑で、葡萄が栽培されています。収穫した房の葡萄を持って急斜面を上がるのは非常に困難なので、畑で葡萄を搾って、海で待っている舟にホースで果汁を送るというやり方を、ニコラさんの代から始めました。

田中 その果汁を醸造所へ運んで発酵させるわけですね。

櫻井 そうなんです。新しく拓いた畑では、葡萄を房のまま運べるように道も一緒に作ったとニコラさんは仰っていました。つまり、彼らもわざわざ手間をかけたいわけではなく、そうせざるを得ない状況の中で最善の方法を選んでいるということです。そういったある種の現場主義、合理性というものがイタリア人の面白いところだなと私は思うんですよ。

田中 そして、そういう現場がもう、本当にあちこちにある。「コムーネ」といわれる小さな共同体の単位でもそうですし、その中にまたいくつもの家族がいて。

イタリアワインとその造り手たちへの熱い思いを語った櫻井さん
イタリアワインとその造り手たちへの熱い思いを語った櫻井さん
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櫻井 はい。皆さん負けず嫌いなので、たとえばイスキア島の中でも、いくつもの家族経営のワイナリーが互いに競争してしのぎを削って、あそこには負けたくないみたいな気持ちで、よりよいものを造ろうとしている。そういう原動力がどの地域にもあるのが、イタリアワインの、イタリアのひとつの特徴なのかなと思います。

今回、私は、単なる液体としてのワインについてではなく、液体の背後にあるものを皆さんと分かち合いたいなと思ってこの本を書きました。ワインを通してイタリアを知る、イタリア人のものの考え方を知る。そういうことをこの本によって多くの人にお伝えできたらと願っています。

撮影/五十嵐和博 構成/集英社新書編集部

◆トークイベントの全容は、「丸善ジュンク堂オンラインイベント」のアーカイブにて2026年10月23日まで有料配信中です。

https://onlineservice.maruzenjunkudo.co.jp/products/j70019-261001

グラスの中のイタリア 教養のワイン文化史
櫻井 芙紗子
グラスの中のイタリア 教養のワイン文化史
2026/9/17
2,200円(税込)
352ページ
ISBN: 978-4087214284
◆法政大学名誉教授・田中優子氏、推薦!
「これは、それぞれの土地に生きる人々と生産者たちの本だ。だから深い。ページをめくるたびに、その風景の中でワインを飲みたくなる」
イタリアワインは、「飲む歴史」。ワインが秘めた歴史と文化を知れば、いっそう深く味わえる!
イタリアワインはなぜ「分かりづらい」のか? その理由は、イタリアの類まれな自然環境と歴史の豊かさにあった。2010年から2025年にかけて、世界的に知られる銘醸地から離島の家族経営の畑まで、現地の60名を超える葡萄栽培醸造家、美食とワインの専門家への独自取材を行った著者が、イタリアの歴史と文化を知るためのストーリーを厳選。
約190点のカラー写真と多数の地図を通して、「単なる液体」ではないイタリアワインの「読み方」が分かる一冊。
【本書のハイライト】
・厳しい自然にもめげず寄り添う「英雄の葡萄栽培醸造」
崖の上の段々畑や、アクセス困難な場所で知恵を絞り、自然と対話しながら奇跡のように美しいワインを生み出す、不屈のつくり手たちの生き様を描く。
・大地の記憶をめぐり、時空を超える旅
古代ギリシアやローマ、エトルリア人が大地に残した過去の断片を、丹念に拾い集めて今に活かす現代のワインのつくり手たち。彼らの歴史への思いに迫る。
・強烈な愛郷心(カンパニリズモ)が育む個性
「隣近所には決して負けまい」という、強い職人魂を持つ人びと同士の切磋琢磨によるイタリアワインの発展プロセスと、ワインの多様性を探る。
・修道士たちが現代へとつないだ、イタリアの葡萄の多様性
フランスの約300種に対し、イタリアには1800種以上もの葡萄が存在すると言われる。かつて修道士たちが守り伝えてきた「種の豊かさ」の秘密を明らかに。
・教養としての「ワイン×イタリア史」
どんな小さな町にも入れ子の箱のように奥深い歴史があるイタリア。本書を読めば、南から北へと銘醸地を訪ねながら、古典古代から国家統一運動までのイタリア史も俯瞰できる。
【こんな方におすすめ】
「知識の詰め込み」ではなく「人間のドラマ」としてワインを理解したい方
ヨーロッパの教養の礎であるイタリアを知りたい方
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<ヴィジュアル版>江戸を歩く
田中 優子 (著), 石山 貴美子 (写真)
<ヴィジュアル版>江戸を歩く
2005/11/17
1,100円(税込)
208ページ
ISBN: 978-4087203165
すぐそこに、江戸がある。江戸学者・田中優子と写真家・石山貴美子が現代の東京の背後にとらえた、記憶の風景。
東京の街を歩いてみると、身近な場所に江戸の名残を発見できる。千住、浅草、深川、日本橋、神田、本郷、品川……。「記憶の風景」をもとめ、江戸学者・田中優子と写真家・石山貴美子が、歩く! 見る! 感じる! 四季に彩られた水の流れ、祭りの風景、人々の日常のたたずまいの中からは、江戸の賑わいが聴こえてくる。そして、近代におしつぶされてきた江戸のうめき声さえもが。江戸をめぐる鎮魂と癒しの旅へ。
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