将棋界の春の風物詩である名人戦七番勝負が、4月6日に開幕する。最高峰の座を争う究極の勝負が、6月まで全国各地で行われるだ。

名人戦は今期で80期を数える、将棋界で最も伝統のあるタイトル戦だ。しかし、「名人」の歴史はさらに長い。徳川家康が一世名人の大橋宗桂に扶持(ふち。武士に米で与えた給与)を与えて家元制度が誕生したのは1612年。江戸初期から410年も受け継がれてきた格式の高い肩書なのだ。

今から10年前、2012年は「名人400年」の節目の年だった。この年に行われた第70期名人戦七番勝負では、それにちなんだ様々なイベントが催された。第1局の前夜祭では、歴代の名人経験者8人が記念撮影に収まる一幕もあった。

個人的に印象深いのは、家康が晩年を送った静岡市で行われた第4局だ。対局前日の5月21日、名人の森内俊之・現九段と挑戦者の羽生善治・現九段ら一行は、市街地から車とロープウェイを乗り継いで、家康がまつられている久能山東照宮を参拝。厳かな空気が流れる拝殿で「健闘祈願祭」に臨んだ。

山中にある境内の移動は石段の上り下りを伴う。ちょっとした「遠足」のような行程で、勝負を控えた両対局者にとってはやや負担とも言える内容だったかもしれない。だが、2人の表情は時折笑顔が見られるほどリラックスしていた。この日の夕方の前夜祭で、羽生九段は「400年という節目の時に数多くの歴史に触れることができて感慨深い」、森内九段は「徳川家康公が将棋に対して理解を示され、それが形を変えながらも多くの人に支えられている。本当にありがたい」とあいさつした。

永世名人の資格を持つ両者が名人戦で顔を合わせた回数は、歴代最多タイの9回に上る。「平成の名勝負」と称するにふさわしいゴールデンカードだが、時は流れた。今年の七番勝負では、3連覇が懸かる渡辺明名人(37)と初獲得を目指す斎藤慎太郎八段(28)が対戦する。

両者は昨年の名人戦でも激突し、渡辺名人が4勝1敗で初防衛を果たした。2年連続で同じ顔合わせとなったが、2度目だからこそ浮かび上がってくるポイントもある。

前回と最も異なるのは、渡辺名人が三冠から二冠に後退して開幕を迎えることだろう。昨年は直前の王将、棋王の防衛戦をいずれも制していたが、今年は棋王こそ防衛したものの、王将戦では藤井聡太竜王に0勝4敗のストレート負けを喫した。この点が、今回の勝敗の鍵となる可能性はある。

王将戦での渡辺名人の敗戦は、斎藤八段も注目している。開幕前の特集記事のために行ったインタビューでは、こう話していた。

「直近で渡辺名人に勝っている棋士を参考にするのは当然です。一つのケースとして意識はしています」

爽やかな表情とは裏腹に、大勝負に向けて牙を研いでいることが窺えてドキリとさせられた。斎藤八段がどんな秘策を披露するのか、渡辺名人がそれにどう対応するのか。戦いは既に始まっている。

名人戦の最大の見どころは、もちろん対局の内容と勝負の行方にあるが、楽しみ方は他にもある。対局者の服装や所作にはそれぞれの個性がにじむし、各対局地の風景や文化には、その土地ならではの奥行きが感じられる。インターネットテレビ「ABEMA」の対局中継が普及し、「観る将棋ファン」に受け入れられる話題は以前にも増して多彩になったようだ。

ただ、古くから取り上げられ、今もなお「鉄板」のジャンルは、やはり「食」だろう。対局者が昼食やおやつに何を食したのかは、多くの人が関心を抱きやすいテーマの一つである。これまでその土地ならではの食べ物が度々話題になってきたが、ファンの間で今や伝説とも言えるおやつが「ラーメンプリン」だ。