――なぜ初の単著のテーマを「家族」にされたんですか?
最初からテーマを「家族」と決めていたわけではないんです。どんな本を出すか考えたときに、僕の半生を書いてみたいと思いまして。自分でいうのもなんですけど、結構波乱万丈なんでね。それを書いていったら、自ずと「家族」というタイトルになりました。昔から、人あっての僕なんですよ。なんのために頑張っているか、誰のために頑張れているか、人それぞれにある中で、僕の場合は家族が多くを占めていました。この「家族」って広い意味で、オカンや嫁、子どもだけじゃなく、カジサックチャンネルのチームスタッフも家族やし、それこそ相方の西野もそうやと思ってます。
――たしかにご家族の話だけでなく、コンビの話や仕事の話も多く書かれていて、特に『はねるのトびら』(フジテレビ/2001〜2012年)時代のしんどかった話を赤裸々に書かれているのが印象に残りました。これまでテレビ等でもお話されていたことではありますが、あらためて文章にして当時の記憶と向き合うのはつらくなかったですか?
今が本当に好きなことをできてるから書けたのかもしれないですね。現状の僕がしんどかったら、その頃を振り返ったときに「これは書くのやめよう」ってなってたんじゃないですかねぇ。でも今は「懐かしいな、しんどかったな〜」って笑顔になれるくらいで。やっぱり、これまでの全部の出来事があっての今だと思うんです。そのしんどい時期がなかったらカジサックも生まれていなかった。だから全部ポジティブに受け取れてるのかもしれません。
――かつてのキングコングさんのイメージが頭にあったので、ご著書を読んで梶原さんが「ひな壇で前に出るのが苦手」「少人数でじっくりしゃべるのが好き」「自分のゴールは“テレビ”じゃなくて“お笑い”」という志向だったことに新鮮な驚きを感じました。同時に、それって実は今のお笑いの潮流と近いんじゃないかと思ったんです。テレビでも、コロナ禍の影響や予算の減少もあって、大人数のひな壇の番組は減って少人数でじっくり語る番組が増えていますよね。
たしかに、それはありますね。YouTubeを始めたとき、お客さんもいない中でカメラ1台で芸人さんとツーショットトークをする企画はどうしてもやりたかったことのひとつでした。いろいろ研究して作戦を練ったときに、YouTubeでもテレビでも同じようなことをやっている人はいなかったので。だからたくさんの方にYouTubeを観ていただけて、ずっと続けてきたんですけど、最近はテレビやほかの芸人さんのYouTubeチャンネルでもそういう企画が増えてきたので、実は今は抑えています。自分の中では役割を果たせたのかなと。
――芸人さんとのツーショットトーク動画を見ていると、梶原さんの話を聞く技術が高いんだろうなと感じます。
これはもう、ずっと隠してたんですよね。本当はもともとじっくり人の話を聞くのが好きで、プライベートも深く狭く、というタイプなんです。そこに上沼恵美子さんはじめいろんな人に出会って、勝手に勉強させてもらって技術を盗ませていただいて。でもキングコングでは、それは西野の仕事であって、僕はボケるのが仕事だと考えていたので表に出してきませんでした。

「全然平気やし」とカッコつけることが背伸びだったーー鎧を脱いだカジサック
YouTuberカジサックが、初となる著書『家族。』(ダイヤモンド社)を上梓する。本書には、芸人としてデビューしてから現在に至るまでの葛藤や苦しみも赤裸々につづられている。"キングコング梶原”が"カジサック”になって気づいた、自身を苦しめていた最大の原因とは――。

――コンビ内でのそうした分担は、組んだときから明確に決めていたんですか?
そうですね。僕、コンビ組んで最初に「俺はナイナイの岡村さんとロンブー淳さんの間をいきたい」って西野に言うたんですよ。そこで西野に「そうじゃなくてお前はボケに徹してほしい」って言われたのが始まりかもしれないです。西野はえげつない戦略家で頭が良くて僕ももちろん信用してるんで、「じゃあそうやな」ってなりました。だからゲストの話を聞いたりツッコんだりするのは西野の役割だなと。それでもやっぱり、テレビや舞台でちょこちょこ自分の聞き役としての一面が出るんです。そういうときは終わってから「あれはやめてほしいなぁ」「そうやんな、ごめんな」って2人で話し合ってました。そういうことの積み重ねでどんどん「俺の仕事はボケるだけ」って考えるようになったんですよね。でもそれを後悔はしてないですよ。そのときにキングコングとして最善を尽くしてたんだと思ってます。
良くも悪くも客観的、だからひな壇で前に出られなかった
――そこで「そうやんな」となれるんですね。みんな若い頃はとがってるし、特にキングコングさんの世代は相方同士でも「俺のほうがおもろい」と張り合う空気があった時代じゃないですか。
ちょっとしたことでぶつかるときはめっちゃありましたよ。僕が精神を病んだとき、いろんな理由がある中で、一個はやっぱり西野のことではあったし。でも大きく言ったら「キングコングはこうやっていこうよ」ってベクトルは共有してたし、納得してました。
――本の中で、コンビを組んですぐ「お前のほうがおもろいから」と西野さんにネタを書くのを任せたという話を書かれていました。梶原さんもその前に組んでいたコンビではネタを書いていたのに、すぐ委ねる判断をできるのは珍しいんじゃないかと思ったんです。そういうふうに譲れる考え方なのが興味深くて。
それは、組んで最初にネタ書くってなったときに、2人でノート広げたんですよ。そこで西野のペンの進み方が尋常じゃなくて。それを見たときに「絶対こいつに任せたほうがいいやん」と思ったんです。ネタをつくることに対しての才能と愛情は、どう考えても西野のほうがある。だったら任せたほうがいいなって。
――客観的なんですね。
良くも悪くも。俯瞰で見すぎるがゆえに、ひな壇が向いてないんですよ。あの場でゴリゴリイケる人って俯瞰で見てないし、自分に自信があるじゃないですか。僕は自信もなかったし、気を使ってしまうんで。
――お笑いに限らずどんな仕事でも、俯瞰で見すぎると冷静になってしまって諦めが早くなってしまうことはあると思います。
特に、向いてない仕事だと余計にそうですよね。僕はずっと背伸びして、向いてない仕事をしていたから。
――若いうちは、自分が背伸びして無理していることを自覚して認めるのも難しかったりしますよね。梶原さんはどこで自覚したんでしょう?
細かいことは多分たくさんあるんですけど、大きく言うとやっぱりYouTubeとの出会いです。初めて自分のパフォーマンスが100%出せる場所にいけたとき、「これまで背伸びしてたな」とあらためて気づきました。僕はテレビに出てるとき、ずっと心のどこかで「向いてないな」って思ってたんですよ。漫才してるときは思わなかったですけど、ひな壇に座ってるときはそう感じてて。でも自分の中で「キングコングのために俺がやらなきゃ」って“正義”をつくりあげちゃってたんですよね。西野が「ひな壇には出ない」って宣言してたこともあって、「俺がやらないと」って。結果的にその“正義”は間違ってたんですけど…。
――自分の中に大義名分をつくってしまうと、引くに引けなくなる。
背伸びしてるのがわかっていても、「でもやるしかない」と思ってしまうんですよね。今の自分からすると可愛いというか、「いや、ほかにも方法あるじゃん」って思います。でもそのときは周りで言ってくれる人もいなかったし、僕も相談しない人間だったので自分で全部決めてたし。「そこ俯瞰で見られへんのかい」って話ですけど(笑)。
「いや全然平気やし」。とカッコつけてしまうことこそが“背伸び”だった
――本の中でも「人に相談をしない・できない」と繰り返し書かれていました。それは今もそうなんですか?
全然変わりました。今は信用できる仲間がいるので、何か引っかかることがあったら「どう思う?」って全部聞きます。今までのキングコングの活動は、やっぱりどこか西野がリーダーシップをとってやってきていたんですよね。だから僕はカジサックを始めてから、社会人になって初めて自分がリーダーになったんだと思います。そこでリーダーとしてどうあるべきかと考えたときに、それこそ「ホウ・レン・ソウ」って言いますけど、周りにちゃんと相談するのは大事だと思ったんです。
というか、昔はそうだったんですよね。友達に相談もしたし、「これやろうよ」って自分から持ちかけることも多かった。よく言ってることなんですけど、“カジサック”って高校生までの“梶原雄太”そのままなんです。芸人になって厳しい世界を見てガラッと人格が変わってしまったのが、もとに戻ってきた。
――キングコングの梶原になって相談できないタイプに変わったのは、自分を守るために鎧を身にまとう感じだったんでしょうか。
僕たちの売れ方が特殊だったんで、やっぱり芸人仲間からのやっかみがえげつなかったんですよ。周りは先輩ばっかりだし、そりゃ鎧もつけますよね。相談しようにも嫌われてるし、したって嫌われてるしが、この20年間常にありました。もちろん、この世界でやっていく以上は仕方ないことだとも思ってましたけど。
――相談できないことや鎧を身にまとうことは、いずれも人に弱さを見せられないこととイコールですよね。自分の弱さをさらけ出せない、人に共有できないから余計状況が苦しくなっていく、というような。
本当にそうだと思います。かっこつけてしまうんですよね。「いや全然平気」みたいな。特に、キングコングはそう見せておかないといけないと思ってました。なぜなら西野がそうだから。あれはやっぱバケモンなんですよ。素っ裸で走り回ってるじゃないすか(笑)。僕はずっと鎧を着てるけど、横見たら裸で走り回ってる。だから「自分も西野みたいに振る舞わないと」って思ってしまってた部分がありました。それこそが背伸びなんでしょうね。今は本当にまったく背伸びをしてなくて、それこそ裸で走り回ってる感じがします。
――嫌われることを恐れなくなった?
ちょっと悲しい話ですけど、嫌われること自体には途中からもう慣れてました。その上でいろんな経験してYouTubeやりだしてからは、嫌われることの素晴らしさもちょっと感じるようになって。何が嫌いかは十人十色だからしょうがないし、その上で「手のひらひっくり返させたらええやん」って。今はもうあえて炎上させる手法はまったくとってないですが、カジサックとしてのデビュー時にそこを狙っていったときと考え方は変わっていないです。
――それは自分で責任がとれる環境だからというのもあるんでしょうか。テレビは編集があるし、演者の方に最終的な決定権がないですよね。
それはあるかもしれないですね。テレビの場合はお願いされて出ている立場で、番組によっては台本があって、それをなぞってやった結果嫌われたりする。そうすると「いや、求められたからやってん……」って、やっぱり納得いかなかったりするんです。でも今は自分で全部決めてるから、失敗しても納得できるしすぐ謝ることもできる。そこは大きく違うと思います。
ありえないかもなんですけど、テレビの会議に演者も出てもいいと思うんですよね。僕は今、週に1回6〜7時間YouTubeの定例会議をやってます。ひょっとしたら『ガキ使』(『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』/日本テレビ)とかは感覚的に近いのかもしれません。そうやって自分が企画段階から関わっていると、どんなことがあっても納得できるし、次に活かせるから。
――あらためて、本当にカジサックさんにとってYouTubeと出会ったことが最大のターニングポイントだったんですね。それによって生き方からガラッと変わっている。
そうですね。僕はもともと全然自信がなかったし、いっぱいしんどい思いをしてきたし、その最中は「いつかきっと明るい未来がくる」なんて考えられなかったです。でも失敗や挫折を繰り返して今の成功があって、そこで初めて「あのときしんどかったな」と思えるようになりました。
だから、いま背伸びしててしんどかったり、まだそれに気づけてもいなかったりする人たちに何か言えることがあるとすれば、「本当にやりたいことをしているのかどうか、もう一度考えてみてもいいんじゃないか」ってことですね。そうしたら、自分に向いているものや実は持っているスキル、武器に気づけたりするんじゃないかな、と思います。

撮影/神田豊秀 取材・文/斎藤岬
家族。
カジサック(梶原雄太)
2022年7月13日刊行
1540円(税込)
単行本 320ページ
発行:ダイヤモンド社
978-4-47811-465-0
裕福とはいえない中で母の愛情を受けて育った幼少期から、キングコングとしての華々しいデビュー、そして苦しみの時期を経て、YouTuberカジサックとして“居場所”を見つけるまでをつづった、初の著書。
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